12月27日
金曜日。本日は有給休暇で休み。仕事は前日のうちに納めてある。
私の部署は今日は率先して休みを取ろうということで閉室。(閉室といっても、あくまで他部署向けに「ウチは閉室だから電話されてもいませんよ」と宣言しているだけで、休暇取得を強要するものではない。出勤してもいいし、テレワークをしてもいい。)部署を挙げてこういった動きをしてくれるととても休みやすくてありがたい。子育てや介護をしている人が多いからかもしれない。
休暇といいつつ、自宅からリモートでメールチェックなどをした。職場としてはまだ稼働しているから、駆け込みでの連絡はつきもの。みんな、年末滑り込みで相手にメールを投げておいて、ボールが手元にない状態で正月に突入できたら楽なんだろうなと思いながら、緊急のメールに返信し、急いでも仕方ないものはそのままにした。
夫氏が調達したみかんが一箱届く。ふたり暮らしなのに。

12月28日
今日から職場の正式な正月休み。午前中から健康的に起きて、大掃除みたいなことをしたりした。大掃除みたいな、というのは、中古といえど住み始めたばかりの家はそんなに汚れていなかったのだ。勢いつけて掃除を始めたものの、11月末に清掃業者が入ったばかりの家に掃除のしがいはないのだった。大掃除は真似事に終わった。真似事は早々にやめて、まだまだある引っ越しの荷物(段ボールの山)の開けては片付けるなどした。こちらはやりがい満載で、なのにいつまでも終わらない。
午後は名古屋駅にほど近いささしまエリアにあるgarageという観葉植物の店へ行った。店内で行われているポップアップに夫が行きたいと言ったからだ。植物を題材にした作品をつくる作家さんたちのポップアップで、私もインスタで知っている人の展示もあった。


私たちはその展示の中から、安くはない小さな作品を一つ買った。透明な植物で、その植物そのものよりも高いのだった。ロフォフォラという多肉植物を模した作品で、写真には伝わらないが水の塊から植物が生えたような不思議な質感になっていた。

園芸界隈のブームは本当にすごい。私が本格的に園芸にハマったころ、ちょうどコロナ禍下のおうち時間需要も相まってか、世間的にも園芸ブームの兆しがあった。そのあとすぐ本格的な波となり、しかもこれまでの女性(特に主婦層)以外にも波及するかたちで新しいブームになったそれは、雑誌では特集が組まれ、ヤフオク等で「雑草バブル」といわれる異常な価格高騰を起こし、父の日には「男前プランツ」と銘打ったエキゾチックな草が売れて、テレビでは滝藤賢一や有吉弘行が園芸を語るまでになった。私がハマった当時、一株数万円はくだらなかった希少な植物が、愛好家たちが種を採ったり株分けしたりして数を増やしたことにより数千円で買えたりもする。ここ五年で目まぐるしい変化があった。
特にすごいなと思うのは、園芸ブームがもう植物を買って育てることだけに留まっていないことだと思う。園芸に凝ると、植物を植えるための鉢に凝るし、植物を置くための棚に凝り、植物を置く空間に凝り、挙げ句の果てには植物要素のある雑貨関係を収集するようになる。植物を育てたくてこの界隈に近づいたのに、植物ではないものを買うという矛盾。自分でもおかしいなと思いつつ、やれやれと言いながらブームを楽しんでいる。きっといろんな業界の人が工夫を凝らして、一過性のブームにならないように盛り上げてきた努力の結果でもあると思う。
12月29日
大掃除もどきが終わったため、段ボールの山の解体に着手する。二人暮らしのくせに信じられない量の荷物があり、おそらく今年中に片付けることが出来なそうだ。それでも、少しずつでも片付けていかないと終わらないので、する。
今日の目標はPCやその周辺機器を発掘することだった。理由は、放置しているこのブログを更新するため。ブログはPC派のため、早くPCを見つけないと放置期間がどんどん伸びてしまう。そういう訳だった。(※はてブロはスマホでも専用アプリ等で書けるっちゃ書けるんだけど、やっぱりPCの方が昨日が制限されないし使いやすい。)
購入した中古物件に元々あった謎のキッチン横の書斎スペースに、とりあえずとPCを設置して、言い訳めいた記事を書いた。それにしても、こんな変なところに書斎スペースがあるなんて不思議。前の家主のこだわりなんだろうか。
12月30日
夫が地元の友人たちと遊ぶということで一日居ない。私は家で一日中のんびりしていた。1人だけで過ごせる、誰にも咎められない自分だけの時間があるのは嬉しい。
夫は岐阜県出身で、就職後は愛知に暮らしている。全国転勤のある職種だから、愛知を希望した訳ではなくて偶然ずっと愛知で働いているだけのようだ。岐阜県という場所は、多くの人が大学進学や就職を機に他県へ出てしまう性質の自治体で、例に漏れず夫の旧友たちもそれぞれ岐阜県外で暮らしているらしい。これは勉強を頑張れば頑張るほど、良い就職先を目指せば目指すほど強い傾向となり、それなりの高校を出て愛知の大学に通っていた夫の旧友はほとんど岐阜に残っていないんだそうだ。だから年末年始くらいしか、まともに旧友と集まる機会はない。まあでも、これは地方としてはよくある話だなと思う。
 私は愛知県出身で、ずっと県内に住んでいるけれど、愛知はすごく特殊だ。多くの人が大学進学や就職で県内に残る。工業が盛んな県で、トヨタ自動車を筆頭に関連会社がたくさんあるし、その他の工業系のメーカーの本社も多い。名古屋まで出れば全国的な会社の支店も多くあるから、学力に問わず就職先には全く困らない。地域によっては自家用車がないとキツいけど、基本的には交通網が発達している。県内の観光資源が乏しいから観光公害ともほぼ無縁で住みやすい。適度に都会と田舎がありいい自治体だと思う。
 でも私は、地縁を断ち切って知らない土地で暮らすことへのロマンに未だにあこがれてしまう。大学進学は親に県内しか許されなかったし、就職時に他県へ出てしまおうと強く思っていたけれど、結果的には県内で就職することになってしまった。その選択のお陰で今の夫に出会えたといえばそれまでだけれど、もっと外に出て、外から自分の生まれ育った土地を見てみたかったという思いはずっと消えない。
12月31日
大晦日。夕方に近所のカネスエで正月価格の謎に高い手打ちそばを買ってきて年越し蕎麦を食べた。謎に高いだけあって、麺のコシが強くて食べ応えがあり美味しかった。

 早めに風呂を済ませ、iPadでXを観ながら紅白歌合戦を観た。辛うじて名前だけを知っているアイドルグループがたくさん出ている。名前しか知らないと言いつつ、私は通勤時に文教区の最寄り駅を複数通過することから中高生や大学生の姿をよく見る生活をしていて、彼ら/彼女らにそれらのアイドルグループが本当に人気があることを知っている。(カバンにアイドルグッズがついていたり、そのアイドルの話をしていたりするから。)
 私は辛うじてテレビが力を持っている時代に学生をやっていたから、音楽番組に出ている人たち=大衆的に人気のある人たちで、国民的人気がある(とされる)音楽を周りのみんなが知っている社会で大人になった。例えばある時期の浜崎あゆみは誰もが認める歌姫で、凄まじい人気があって社会現象にまでなった。浜崎あゆみを知っているのが当然だった。でも私にとっては浜崎あゆみの凄さはわかっても「自分向けの音楽」ではなくて、CDを買って聴くことも、あゆの写真をケータイの待ち受けにすることもなかった。そんな私は、あゆが大好きな大勢の女子から見たら「流行に乗れない変な人」で、たまにそれがちょっと息苦しいかった。「あゆが好き」って言わないといけない空気が。嫌いだったわけでもないけれど。
 今はいろんな世代のいろんな「好き」が多様化していて、テレビ以外の場所から音楽を探してきて、好きなものは好きっていえる世の中になっているから、すごく良いなと思う。一方で、大衆的な人気って本当に限られたものになっていて、紅白も難しいんだろうなって感じる。テレビに出てないから人気ない訳でもないし、ランキングもイマイチあてにならない。近年新曲をリリースしていなくても、精力的なライブ活動をして人気を保っているミュージシャンもいるから。
いくつか目当てのミュージシャンを観た。B'z、凄さは十分承知しているけれど、別室スタジオから生放送と見せかけてNHKホールに来る粋な演出に驚いた(B'zレベルの大物が来るとは思わなかった。)会場からの悲鳴に近い動揺の声がよく聞こえたのも、お客さんが自主的に立ったり拳を突き上げてたりして、ライブだ、と感じて凄く良かった。ベースのお姉さん(清さんというらしい。)もカッコよかった。
藤井風。収録じゃないかって疑いたくなるほど凝った演出ですごいものを見せていただいた感慨。屋内→屋外へ出たところや、朝日に向かって歩くシーンでどうして映像が白飛びしないのか不思議で不思議で堪らなかった。プロフェッショナルたちがすごいことをしているんだろうと想像する。B'zの声量と比較する声もあったけど、あの曲は強く歌い上げるタイプの曲ではないから、あれはあれで正解だったと思う。
星野源。歌詞を変えてきたところに何かメッセージのようなものを感じて、緊張感のある演奏だった。ネットは「ばらばら」の歌詞をポジティブに捉える人も見受けられたんだけど、私はそう思っていなくて、世界はばらばらのままで、あなたと私は良いも悪いも含めて重なり合っているだけで、このまま世界はどこへ行くんでしょうね、というただ歌っているだけの、ネガポジがない曲なんだと思う。先日の炎上の件を思わずにはいられない。
米津玄師もよかった。演奏前の、生きる時代が違う寅子(伊藤沙莉)と米津玄師が一瞬の邂逅を果たしたかのような演出にグッときた。米津玄師、今まであまり意識しなかったけれど、セットに座っているだけで異様な雰囲気を醸せるし、立った時の佇まいもすごくて、存在自体が総合的にスターだなあとボンヤリ思った。
ところで、Xにはたくさんのフォロイーや知らない人が紅白を見ているようで、みんなとリアルタイムで見ている感じが、黎明期の平和だった頃のツイッターみたいだなって少し嬉しくなった。
1月1日
早起きして夫と9時に家を出た。元旦は義実家と実家をめぐる嫁家業デー。まずは夫の実家に挨拶した後、義父の兄一家で恒例らしきご馳走を食べることになっている。私は親族の大半があらゆる県に離散しているが、夫の親族はほぼ岐阜県にいる。登場人物が非常に多くて覚えきれず、今日もすこし気が重かった。
 義父の兄一家には、義父の兄夫妻、義父の息子夫妻、義父の娘夫妻とその娘と息子が集まっており、この時点で私は頭がパンクしそうになる。お酒をやめているくせに、あらゆる人に注がれた日本酒を愛想よく飲んで悪酔いしたりした。
 私は結婚前、夫は変な人だが立派な学歴があって礼儀も弁えていることから「育ちがいいからそれなりの家柄なのではないか」と恐ろしくなったりもしたが、蓋を開けてみればそんなことはなく普通のご家庭、ご親族だった。ご馳走を振舞ってもらっているのに特に何も手伝わせてももらえず、ひたすら寿司を食べ酒を飲むだけの嫁で逆に申し訳なくなってくる。
義父の息子夫妻の娘さん(小2)にカルタをやろうと言われて、みんなで相手する。凄く黙々とやるものだから「大人相手でつまらないのかな」と心配していたら、内心では凄く楽しかったようで、その後数時間の終わらない耐久カルタをすることになった。小学生女子が普通にカルタではしゃいでいてとても安心した。ネットにいるコスメで大人顔負けの小学生を見ていたせいかもしれない。ネットは現実ではないことを再認識した。
 夜は私の実家。私の母は料理ができないのだが、1年前の元旦に私と夫で食材を持参してすき焼きを作ったところ、「割下」という魔法の道具に感動したのか、母はついに「すき焼きを割下を使って味付けすること」を覚えた。スーパーで一番高かった割下で作ったらしく、すき焼きはちゃんとお店のような味になっていた。
 今日は珍しく妹が帰省しており、私の夫と初対面を果たした、私と妹は外見が全く似ていないが、夫も「似てないね」と言っていた。9時ごろに出発し、自宅へ帰る頃には疲れ果てていた。早めに風呂入って就寝。
1月2日
仕事始めが近づいてきて少しずつ恐ろしくなってくる。朝昼兼用でお雑煮を食べた。餅を焼いて、鰹だしベースの汁で煮ただけの簡単なもの。

昨日の疲れが残っているのか、これまでの労働の疲れが一気に来たのかわからないけれど、とにかく疲れが溜まってきたため、この日は自宅で養生して過ごした。休息のための休日。
1月3日
特に何もしなかった。家事をして、近所のスーパーへ行き野菜が全然買えずに帰ってきて、外を散歩して、後は本を読んだりソファでうとうとしたりして過ごした。少しだけ仕事のメールフォルダを見て、変なメールが来ていないことに安心して閉じたりした。
1月4日
普通の土曜日。もう正月じゃない。はてブでもXでもフォローしている途中さんの同人誌を読んだ。年末に届いていたものだ。やっと読むことができた。
自由研究は「元カレを読む直す」ないようになっていて、長い時間をかけて恋していた元カレのことを綴ったものだ。私の青春時代にはそんな自分の時間の多くを捧げられる恋はなかったから、羨ましいような、恐ろしいような感じだ。18歳で別れた元カレを30歳まで好きだったというのだから、本当に恋は恐ろしい、でもそんなふうに想えた途中さんも羨ましかった。私は本当にありふれた予定調和のようなものしかしたことがない。
日記本はまだ読んでいる途中。読み終わったら、ちゃんとまた別記事で感想書きたい。

1月5日
日曜日。夫と破滅的な喧嘩をした。喧嘩というより、私が我慢ならないことが溜まりに溜まって、一方的についに言ってしまったという方が実態に近い。怒っていたのは私だけだ。大抵のことは流せる私だけれど、ずっと引っかかっていたことが結婚してからの約二年間で無視できないものになった。この我慢ならないことは、ちょうど2年ほど前にも伝えていたことだったのだ。最悪この関係が壊れたり、離婚になっても構わないくらいの覚悟で言った。
たぶん私が腹を立てたことを重要視しない他人にとっては、私がなぜそんな些細なことに腹を立てたのか分からないと思うだろうし、私を面倒くさい人間だと思うかもしれないから、喧嘩の内容は書かないでおく。相手に打ち明けずに自分の中で抱えたまま生きていく選択肢もあったけれど、それはもはや健全な私ではないし、私にはそれが耐えられなかった。正直、ひとりの入浴中や寝る前などに何度このことで泣いていたのか分からない。自分でもここまでよく耐えたと思っている。
1月6日
月曜日。仕事始め。この日は爆弾低気圧になるとか。私は気圧の影響で動けなくなることはないが、無傷ではいられない。頭も身体も重い。ついでに気が重い。初日早々にいろんなメールや電話が押し寄せて、仕事始めにふさわしい雰囲気だったけれど、職場「まあ、今日はリハビリですから…」という空気で救われた。
帰宅後、夫とは話し合いの続きをし、結果的には行き着くところに着地した。私が離婚も辞さない姿勢を見せたことで、取り乱した夫を大泣きさせてしまい、やっぱり私が言わなければよかったんじゃないかと後悔の気持ちを生まれたけれど、私は私で2年間悲しい気持ちを押し殺して平気なフリをしてきたし、我慢の限界だったのだ。結果論として、私は自分がどうしても許せないことを主張できてよかったし、相手にも分かってもらえてよかった、それだけだ。もう一つの世界線の私はきっと別居や離婚に踏み切っていたかもしれない。こういう時のために、私はたとえ地獄だとしても仕事を辞めていないのだと改めて思った。
1月7日
火曜日。朝、湿度は高いのに空気が冷たく寒かった。阿部芙蓉美というシンガーがとても好きで、特にこの人の磨りガラスのような声は、真冬の朝に、凍えながら屋外で聴くのがとても良くてこの時期になると聞いてしまう。2012年のアルバム「沈黙の恋人」は名盤で、ジャケットの雰囲気も好き。CDしか持っていなかったけれど、ずっと探していたレコードをついに中古で見つけることができた。今度届く。楽しみ。
12年以上前の音源をいまだに現在の音楽として聴いている。今度久々のフルアルバムが出るらしくて楽しみにしている。
仕事。全てがクソクソのクソ。クソとかはしたないけれどこの言葉でしか言い表せない粗野な感情が私にもある。

