2024年もあっという間に終わってしまった。今年は仕事もほどほどに無理をせず、日常を最優先に生きてこられた気がする(当社比)。一方で私生活のほうも忙しく、仕事とのバランスで四苦八苦した一年だった。特に自身の加齢による体力減退を甘く見ていたことは反省している。身体の老いに気持ちがついていけていない。
改めてこの一年を振り返ってまとめてみる。ちなみに去年のものは以下の通り。
目次
いろいろあって持ち家(中古)を買った
いつかは、と思っていた持ち家。これから物価高や人件費高騰が加速して家が買えなくなるのではないかと焦り、2024年1月頃から毎週末にハウジングセンターや新築マンションの説明会や仲介業者各社を訪ねはじめた。忙しく家を探した結果、夏ごろにとても理想的な築浅の中古物件と出会い、とんとん拍子に買って引っ越しまでしたのだ。2、3年のうちに購入できれば…と考えていたところ急に購入することに。これが2024年のいちばん大きな出来事になった。
当初はマンションも戸建ても、注文・新築・中古も広く探していたけれど、予算や社会情勢などの現実を見て少しずつ折り合いをつけていった結果、中古の一軒家という結論に行き着いた時にはもう4月。そこからはひたすら中古物件の内見をして、後に購入する家と出会って購入を申し込んだのが8月。そこから、売主との契約を行い、ローン手続きを行い、不動産登記を行い、リフォームの手配や打合せをし、引っ越し準備をし…と膨大な事務対応を、ひたすら飛んでくるボールを打ち返すようにがむしゃらに過ごしてすぐに10月。とにかく時間が足りない。フルタイムで働きながら家を買うということが、こんなにも大変だとは思わなかった。下半期は持ち家周りの準備で忙しすぎてあまり記憶がないくらいに大変だった。これはまた別記事でブログにまとめたいくらい。
(旧居。引越しの荷造りが死を感じるくらい大変で、1ヶ月以上を費やした。)
11月末にようやく引っ越しが終わり、私の住まいは、名古屋市内の40㎡ほどの賃貸マンションから延床200㎡超の2階建て一軒家へと変化した。四年間暮らしたこれまでの賃貸マンションもこの上ない条件のすばらしい最高の家だったけれど、さらなる住まいを手にしてしまった。日当たりがとてもいい、大きな窓がたくさんある一軒家で、広い庭や大きなベランダ、ウッドデッキまである。職場まではドアtoドアで1時間。最寄りの駅へは徒歩10分強。夫婦ふたりで住む家としては完全に不相応だと思う。毎月のローン返済額を思うとき、少し足が竦むような気持ちになる。
正直、持ち家を買ったことが自分の人生にとって正解だったかどうか分からない不安もある。もしかしたら持ち家なんて要らなかったとか、マンションが良かったとか後悔するような世界線があるかもしれないけれど、この選択が正解になるようにこれからの生活を堅実に頑張りたい。まあ何とかなるでしょと生き勇んでいこうと思います。まだまだ荷解きが完了していないので、まずはそこから。
自分本位に仕事ができるようになってきた
仕事面の話。2023年夏に今の部署に異動して、昨年は慣れない分野の業務ばかりでかなり苦労したけれど、それから一年以上が経ったということもあり、2024年はだいぶ楽に取り組めたつもり。肩の力を抜いて、比較的無理せずに勤労できたかな、と思っている。
去年から、仕事のために自分を犠牲にすることをやめて、譲れない意見を表明したり、できないことはNOと言えるようにしたいと思ってきた。それが昨年よりはできたと思う。私の職場には、残業や休日出勤をしてでも仕事をしなければならないという空気が一部であって、それゆえに休職者も多い。私は幸運にも鋼の肉体に生まれたおかげで、若さを担保にある程度の無理をしても大丈夫だったけれど、それは働き方として不健全だし間違っていると思っていた。だからやめたかった。ずっと。
私はもう若くもないし、幸か不幸か、誰かから嫌われることを恐れるような弱さも失っていた。そのおかげか、業務時間で無理だと思うものにはそう言ったし、仮に引き受けるとしても、それがどれだけ困難であるのかを伝えるようになった。無理な残業、休日出勤もやめた。休みたい日はちゃんと宣言して休んだ。私が職場を思いやってばかりいても、誰も私の生活など守ってくれないから、最低限自分で守っていくしかない。そういう開き直りができて、歳を取って良いこともあるもんだなと感じた。周囲の人から見たら、急に私は扱いづらい人間になったかもしれないけれど、「都合のいい人間」としての私は私の我慢の上に成り立っていたわけで、なかったものとして闇に葬り去りたい。
プライベートの都合に合わせて帰るようにしたことで、業務時間にメリハリをつけて全集中で仕事出来ているので、このまま継続していきたい。もちろん、仕事のスケジュール的に無理をせざるをえない時期や、緊急対応で残業不可避な状況もままあるので、常に無理のない健康な勤労ができたわけではないし、下半期は常に疲れ果ててボロボロだったけれど、去年に比べたら御の字だと思う。来年もこの調子で自分の日常を守りながら働きたい。ただ、職場で悪者になりたいわけではないから、バランスを探っていきたいところ。
(↑11月大阪にて。慢性疲労でボロボロだが休日はなるべく外出した)
行きたいところへ許す限り行ってみた
仕事をしている以外の時間を充実させたいというのが2024年の抱負の一つだった。自分の時間と懐事情が許す限りにおいて、行きたいところに行ってやりたいことはできたから上出来だったと思う。出かけるのに託けて、会いたかった人にもたくさん会うことができ嬉しかったです。
特に今年はライブに行きたいと思っていて、行きたいと思った公演はとりあえずチケットを取り、何が何でも休暇を取るという気持ちの強さで願いを実現させてきた。年間15公演以上は行っているはず。県外の公演でも行きたいと思ったなら応募してチケットをもぎ取り足を運んだ。無理にとった休暇の皺寄せで業務がパンクしかけ、自分の首を絞めることもあったけれど、無理にでも行っておいて良かったなと思う。
(↑2024年に行けたライブの一部。県外の公演だろうと行けるだけ行った。)
(↑9月横浜にて。5年ぶりに不思議な友人たちにも会えてとても良かった。)
特に11月に大阪あったフジファブリックとアジカンとくるりの3マンライブは、絶対に当てたい悲願のライブだったこともあり、公演に足を運ぶことができて本当に本当に良かった。チケット抽選が半年以上前で、本当に公演に行けるか分からなかったけれど無理してチケットを確保したのだ。後にフジファブリックの活動休止が決まって、私にとってはこの3マンライブが最後のフジファブリックのライブになった。言葉を尽くし難いほどに感動的なライブで、私にとっては大切な思い出になったし、これからも事あるごとに思い返すだろうと思う。「推しは推せるうちに推せ」という全ファン・全オタクに響く金言があるけれど、本当にその通りだと改めて痛感した。
(↑本当に本当に感動的なライブだった。この日のことを一生語る老婆になると思う。)
フジファブリックの3マンライブに行った時、ちょうど隣が年配のご夫婦だった。50代か60代くらいに見えたそのご夫婦は、4時間にも及ぶ公演中、基本的にずっと立ってライブを楽しんでいた。私はそれにひどく感動するのと同時に、私は何歳までこうしてライブを楽しめるんだろうかと考えた。このまま歳を取ると、ご家庭の事情や健康上の理由で来たくてもライブに来られない人が大勢いるはずで、私もいつそうなるか分からない。もちろんいつまでも好きなことを完全に諦めてしまわないように頑張っていきたいけれど、悔いの残らないように行きたいところには行っておきたいと感じた2024年だった。
2024年の総括
気高く生きられるように1年前に目標を色々立てていました。そろそろいい歳だから、八つ当たりせずに自分の人生を自分で抱えられるように頑張りたいなと思いつつ、それでもやるせない怒りを抱えた時には会社や国のせいにしたりして泥臭く1年を駆け抜けました。その中でも自分にできることは最大限できたかな、と思っています。自分くらいは自分を褒めてあげたい。
- 自分の意見を殺さない、自分本位さを出していく ◎
これは割と頑張れました(特に仕事面)。出来ないことは出来ないといい、ちゃんと断るようにしてきました。無理して平気な顔して休日返上で対応するんじゃなくて、無理して何とかなっていることを伝えるにしました。
- 仕事しすぎず、自分の時間を優先させる(継続目標) ◎
- でも無理をしない ○
無理な残業や休日返上をやめました。もちろん、キリのいい所まで終わらせるために残業したり、平日業務を効率的に進めるために休日に対応しておくこともあったけれど、それは自分の働き方改善のためであって、職場の無理な要求を叶えるために自分を犠牲にすることはやめました。(それでも急な締切対応のために無理もたくさんしたけれど。)職場にはっきりとNOと突きつける癖をつけたことで、働き方にもメリハリが出て良かったなと思います。まだまだストレスフリーとは程遠い社畜ですが、この調子で頑張りたいところ。
- 自分の無力さ、現実のままならなさを受け入れる △
出来たら苦労しないですよね。自分の無力さとの折り合いはまだ全然できていない。なんなら現在進行形で苦しんでいる。今年は、自分の年齢を度外視した結果、週末に予定を入れすぎて平日も疲れを引きずったり、夜更かしして片付けようとした仕事が全然片付かなかったり、自我と体力が落ちた肉体との乖離に苦しんでは落ち込んだ。身体が疲れ果てているのに、まだ頑張れると思ってしまう。落ち込んでいるということは、ままならない自分自身を受け入れられていないということだ。骨の髄まで染み込んだ「体力で万事をカバーする」という手段を手放して何か新しいものを手に入れないとな、と思う。
- 自分が本当に欲しいものに散財する、でも貯金もする ○
よく稼ぎよく散財しました。新居を買ってしまったので今年は散財した額もけっこう大きくなってしまったけれど、きっと使うべきお金だったと思うので良しとします。今年は行きたいライブにも惜しみなく行って散財もしました。貯め込むばかりじゃない生活をほどほどに出来て上出来です。
- 余暇を使って新しいこと、楽しいことに挑戦する △
- なにか資格を取ったり、同人誌を出したりする(継続目標) △
新しいことも出来なかったし、新しい資格に挑戦もできなかった。時間だけはあった学生時代はお金がなくて動けなかったけれど、今は完全に逆の状態になっている。とにかく時間が足りない。これまでの生活や趣味の継続で精一杯だったので、継続目標にして2025年に持ち越したい。今年はできなかったけれど、来年は5月に念願の同人誌を出すことにしています。フリーペーパーとか、自己満足で利益も何もないやつ作りたい。楽しいことがたくさんできるように頑張りたいです。
抱負2025
気高く生きたい2024/ご機嫌に生きる2025 https://t.co/bi8OfpgGFp
— 八月 (@koseee_) 2024年12月31日
2024年は特に仕事面において、自分の意見を殺してしまわずに自分本位さを大事にして、でも嫌なやつにならないようにバランスをとれるように頑張った。頑張れたけど、この自分を省みると、「常に忙しさと戦う大変そうな人」になってたと思う。実際「いつも忙しそうだね」と言われたりしたから、顔や態度に出ていたんだろう。
私はややもすると仕事に忙殺され、仕事の悩みやストレスに支配されて、仕事一辺倒になりがちだと自覚している。それは単純に就労時間が長すぎるせいでもあるけれど、プライベートな時間が仕事に圧迫されて全然余裕がなかったせいでもある。2024年は前年よりは無理のない仕事ができたけれど、それは比較の問題であって、けっきょく私は休暇の大半を仕事に費やしていた。おまけに勝ち取った休暇にも予定を入れすぎてパンクし、下半期は引越し対応も加わって常に疲れ果てていた。そういう疲れやイライラや余裕のなさを出さないように、無理せずバランスを取って生活し、明るくご機嫌な人でありたいなと思います。これは自戒を込めて。
仕事はしんどいし、暗い話ばかりの社会で夢も希望もない雰囲気になりがちだけれど、ちゃんと無理せずバランスを取って働いていて明るい人当たりのいいになりたいなあと漠然と思う。職場や身の回りには実際にそういう明るい人がいて、本当にすごいと感心する。絶対に自分よりも大変なはずなのにいつでも明るくて、話しかけやすくて、しかも自然体で話すとたのしい。(きっとその人はその人の戦いがあるはずなのに。)
そんな風になりたい。セルフケア的な文脈で自分をご機嫌にするんじゃなくて、取り繕うでもなく言葉そのままにご機嫌に生きたいなと思うこの頃です。それがいちばん難しい気がするので、永遠のテーマになりそうで怖い。家も買ったし、住環境を整えながら身の振り方を模索したいと思います。そして新たな一年の目標としては以下の通り。
- 仕事しすぎず、無理もせず、自分の時間を優先させる(継続目標)
- 休息のための休暇を積極的にとる
- 家作りを頑張る
- 新しいことに挑戦する
- なにか資格を取る
- 念願の同人誌を出したりする(5月予定)
2025年もどうぞよろしくお願いします。