高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

道の境界

 金曜日。クリスマスイブイブ。同居人は夜勤明けで家で寝ている。私は昨日に引き続き、家の大掃除を少しずつ消化していた。大掃除は往々にして一日二日じゃ終わらない。人間の一日の稼働量を買い被ってはいけないということを、毎年毎年思い知らされてきた。今日はキッチン周りを念入りにやることにした。午前中で疲れた。昼食は冷蔵庫在庫処分飯。

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 今夜は同期たちとこじんまりご飯を食べる予定になっていた。早めに家を出て、店の近くのイオンで大掃除に必要な重曹クエン酸を買いつつ向かった。信じられないくらい外気が冷たい。寒いを通り越して痛かった。深夜から明日朝にかけて雪が降るらしい。

 お店は味噌おでんが美味しい居酒屋。食べたいおでんをセルフで鍋から取って、会計時に串の本数を店員に数えてもらう。気軽なうえ美味しくてとても気に入った。仕事の愚痴や嘆きなどを話しながら楽しく過ごした

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 話の流れで、同期Aから、夏ごろに恋人と同棲を始める準備をしていたが、その後トントン拍子に話が進み、秋頃に結婚したと報告を受けた。おめでとう、と言って乾杯する。そこから各々の近況の話に。同期Bは観劇にハマっており、毎週推し活に忙しく過ごしているらしい。私も恋人との近況を聞かれたので、同居人と結婚の話は出ているが、ふたりとも時期にこだわりがないからそのうち、一年以内くらいにふらっと結婚するかもしれない、と話しておいた。

 同期と集まると、どうしてもお互いの人生における近況報告になりがちで、ある程度の年齢になると仕方がないっちゃないんだけど、それも如何なものだろうかと自己の振る舞いに悩む。なんだか、みんなで人生の模範的コースのどの辺りにいるのかを確認し合う時間のようで、居た堪れなくなるのだ。この数年で、え〜結婚したの?子供産まれたの?おめでとう、をもう何回言ったか分からない。でもそれを言われない人がいて、でもそういう話題がないからと言って「おめでたくない」訳じゃない。私はとりあえず聞かれたら答えないのも不自然だからサラッと答えるようにはしているけれど、どこまで開示して良いものか、どうしたら全員が楽しい時間になるのかを考えあぐねてしまう。

 私がそう考えてしまうのは、私が長らく人生の模範的コース上にほとんどいない半生だったからだと思う。真人間じゃないから、分かりやすい幸せとは無縁な状態のほうがデフォルトで、現在はもらい事故のように同居人と暮らしているけれど、基本はひとりで奔放に生きてきてしまった。恋愛もほとんどしてないし、むしろ出来ないに近かった。
 恋愛しない、結婚しない、子を持たない幸せがあることは当然分かっていて、わかっているけれど、毎回毎回、誰々に恋人ができた別れたという話を聞き、「八月ちゃんはなんで彼氏作らないの」「彼氏作ればいいのに」「誰か紹介しよっか?」という悪意のない言葉に晒されつづけていると嫌でも自分が卑屈になっていくのがわかるのだ。恋愛をしているみんなの方が正しくて、とくに欲していない私はどこかズレていて、みんなができることを私はできないのだと考えて、人生の模範的コースを自分の中に内面化してしまう。そして卑屈になっている私に、だんだん周りのみんなが気を遣い始めるのがわかって、それでさらに自己嫌悪するのだった。

 だから今日この場で、どこまで結婚云々の話をしてよいものか難しいなって思っていた。個々人に悪意がなくとも、集団になると別の様相を呈すことはある。同期Bがどう思うかによって、私がどうすれば良いかは変わってくる。この話の流れを急に変えても、気を遣われていると思われるかもしれないし、ずっとこの話で行くのも疎外感があるかもしれない。そもそも私がこんな気遣いをすること自体が、同期Bにとっては「模範的コースに乗っている者の特権的な立場」に映るのかもしれない。少なくとも卑屈時代の私はそう考えたこともあった(加齢とともに平気になっていったけれど)。でも同期Bがそう感じていると決めつけるのも失礼かもしれない。同期は全く気にしていない可能性もあるからだ。私も私で、自分の苦しんだ呪いを内面化している。

 結局、同期Bに酔いが回りだすと、「もう私は誰とも恋愛できないまま死んでいくんだと思う、急に出会えと言われても無理だし気の利いた会話なんてできない、みんなに出来てなぜ私にはできない」と嘆き出した。同期Bもなにも感じていないわけではなかった。でも心の底から恋愛や結婚をしたいかというとそうではないようで、「できたらいいな」と思うくらいらしい。同期Bは推し活で日々が充実していてハッピーだけれど、それとは違う次元で焦燥感があるようだ。同期には色んな年齢の人がいるけれど、本当に年長者からどんどん結婚して子供を産んでいくのだ。それを見ていて、毎回おめでとうと言って、卑屈にならないはずがないのだろう。そんな強さがあるのなら私は欲しかった。
 本当に、呪いだと思った。恋愛なんて近代が作り上げた幻想のようなものなのに。昔は家同士がお膳立てして結婚していたような制度が、自由意思による恋愛に基づくものに置き換わってからのほうが歴史が浅い。そこには絶対に向き不向きがあるはずだ。それがさも当然のことのように思われていることのほうが怖い。毎日が充実している人にさえそう思わせるこの呪いはなんだろう。