高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

人の日記本を買って読む

 木曜日。今日から年休消化のため四連休。まだ正月末までに出勤する日があるけれど、とりあえずの連休はうれしい。仕事の同居人を送り出していそいそと家事にとりかかった。

 寝生活さんからオンラインで購入した日記本と、芝山さんというフォトグラファーの方と共著された同人誌が届いた。同人誌の方は、日記を読ませていただいている途中さんも協力されているようだ。昨日注文したのに今日届いてしまうお仕事の速さ。ステッカーなど付けていただき、とんだおこぼれを頂いてしまった。しかも昨日余計なことをツイートして余計な気を遣わせてしまったようだ。いいんです手書きのメッセージは嬉しいのです、ほんとすいません。

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 寝生活さんの日記本は、はてなブログで書いたものをブラッシュアップして収録したものらしい。日記を読んでいると、バイト先などで不思議なくらいいろんな人と繋がっていく感じが、私の人生とは対極にある感じがして驚かされる。交友関係がすさまじい。自分は基本的には、意図的に頑張ってええい、とぶつかりに行かないと新しい人脈が広がらない。交友関係を広げる意識がないとダメなのだ。寝生活さんは、それが自然にできているような雰囲気があって、ある登場人物が日記に登場した後日、その人と出かけていたりすると、日記には書かれていないところで何があったのだろう、と不思議に思う。もしかしたら、本人としては特筆するほどではないくらいに自然に人とつながっていけるのかもしれない。ご本人の愛嬌とか、人間的な魅力だろうか。実際にお会いしたことはないが、日記を読む限りはそんな気がする。

 私はどうやら自分の意識に反して、周囲からはちょっと近寄り難い雰囲気が出ているらしい。仲良くなった人からは後日談として「フランクに話しかけられて印象が違いすぎてビビった」「そんな喋る人とは思わなかった」と言われ続けているから、第一印象ではおそらく意図せずにそういう雰囲気が出てしまっているのだろう。爪の垢を煎じて飲みたい。

 ところで、名古屋に住んでいると、程よく都会で交通網とかのインフラも便利で、生活をしていて困るところはないんだけど、寝生活さんや途中さんなどの日記を読んでいると、やはり東京で暮らすということは本質的に違うなと感じることがある。名古屋や大阪のような街とは文脈が異なり、そもそもの前提から違う感じだ。
 街の至るところであらゆる展覧会や個展があって、イベントがあって、あるジャンルの中心地たる場所があって、そこへ行かずともすぐ身近にあるという暮らしは文化的に豊かだ。名古屋での日々においては、興味あるイベントや展覧会があったときに、日程を調べ、開催地を調べ、「東京だけかあ」と落ち込むところまでが既定路線だ。「行かない」ではなく「行けない」になる。物理的にも心理的にも離れているものがたくさんあって、たまに切ない。どれだけネットが便利になろうと、そういう意味でちょっと東京に憧れは残っている。

 なんでわざわざ人の日記を読むのか、と思うことがある。その一つとしては、憧れている東京での暮らしの実際を、日記を通して分けてもらっているのかもしれない。日本史とか社会常識の知識として人がどういう暮らしをしているかわかっても、個人史としての人の暮らしを知るというのは難しい。自分と異なる人間がどうやって生きてどういうことに悩んで、どんなふうに乗り越えていくのかなんて大層なことではなくて、人が人生を総括する上で取り上げられないような、どうでもいい取り止めのないことを知りたい。