高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

秋を信用してはだめです

 10月1日。朝起きると夕方のような日差しで、ああ、秋だなと思う。いつも同じ時間に起床していると定点観測のように、起床時の窓の外の明るさとか暗さとかの変化に季節の移ろいを感じる。

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 いつもの週末であれば正午近くまで起きてこない同居人も7時には起きていた。市内でそれなりに規模の大きい園芸イベントがあり、どうやらそれに行くらしい。私に触発されて園芸にハマり始めたものの、最近は園芸熱がオーバーヒートしてしまっている。あれだけ朝早くに起きられない人間を起きさせる趣味のおそろしいことよ。究極的には人間なんですべてやる気しだいなんじゃね?と思いたくもなった。

 私もそちらに行きたかったが、午前中にメンクリ予約が入っているのであきらめる。バスと地下鉄を乗り継いで名古屋・栄へ。夏日になるという今日はやたらと暑かった。朝方の涼しさに裏切られた人たちが、長袖でしんどそうに歩いていく。疑い深い私は半袖で出てきたけれども暑い。秋は信用ならないのだ。春と秋はすぐに私を裏切る。背中に一滴の大粒の汗が垂れていくのが分かる。

 自分はたぶん、多汗症だと思う。そして、病気ではないが、病的ではあると思っている。中学生のとき、蒸し暑い体育館で部活を終えた後に帰宅したら、母は私が近所の川に飛び込んで遊んでいたと勘違いして怒鳴ってきたことがある。それくらいに頭からずぶ濡れだったのだ。年間を通して汗をかきやすいが、夏はとくに人権が危うくなるレベルでひどいのだ。宿題をしていると、手をついたところは汗で紙がしわくちゃになるし、髪型はどんなに気を付けたって夕方には元通りだった。いまでも、化粧は午後には跡形もない。エアコンの効いた部屋で快適にすごしていても、食事をとると脇やひざの裏から汗が湧き出てくる。事務仕事をしている今も、尋常ではない手汗をかくから常にタオルハンカチが手放せない。秋めいていくことを喜んだのもつかの間、夏日となって生きづらさが噴出してしまった。

 何ごともなくメンクリを終え、そのままMARUZENへ。漫画の新刊を探してうろうろ3周くらいして、隅っこのワゴンにわんさか積まれているのを発見した。書棚に陳列してないんかい、と思いながらもpanpanya『模型の町』、真造圭伍『ひらやすみ』4巻、松本大洋『東京ヒゴロ』を買った。秋は新刊が多くてうれしい季節。
 ついでに資格試験コーナーでいろいろ物色した。次とるなら何がいいのだろう。無難に英語とかやっておいたほうがいいのだろうか。TOEIC、最後に受験したのが5年前だから、まあまあいいスコアも賞味期限がとうに過ぎてしまっている気がする。あのスコアの実力がいまも私にあるとは思えない。そもそも読み書きはできても、英会話はテンでダメだから、いい加減どうにかしなきゃ、とうだうだしながらも、落ち着いたらやろうと先送りにしてきたのだ。「落ち着いたら」が永遠に来ることはないと気づいていながら、そうしてきた。

 大学院時代、中国人留学生たちが本当にみんな嵐のファンで、嵐のメンバーが話していることを理解したくて日本語を覚えたのだと口々に言っていた。外国語を覚えるには外国人と付き合うこと、とはよく聞くが、それに通ずるものがある。とくに中国はネットの統制が強く、動画投稿サイトに上がった嵐の違法動画に、有志のファンが字幕をつけてくれる前に動画がBANされることもよくあったらしい。国に消されるまえに推しの動画を、短時間で観ないといけない。見ないと失われてしまう(違法動画だからね)。そのような切実でひっ迫した状況の中、日本語はぐんぐん身についたというから良いのか悪いのかよくわからない話だ。私も外国人の推しをつくったら万事うまくいくだろうか。

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 英語、英語、とうだうだ考えつつ、今日は漫画読むだけで一日を溶かしてしまった。ふがいない。
 漫画、いまって読む場所や読むメディアがたくさんあって、だんだんブツとして買わなくてもいいものになっている。漫喫もあるし、スーパー銭湯で主要作品も読めるし、レンタルで借りてもいい。漫画アプリで読めちゃったりもする。そんな中でも、身の回りに紙として置いておきたい、いつもで読み返したり人に貸したりできるようにしておきたい、持っていることに意味のある漫画があって、それらをだいじにしたいなと思った。