高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

同人誌狂乱

 木曜日。5月11日の文学フリマに友人たちと出店するのだけど、文フリに持っていく同人誌の原稿が締切間近で、作業が大詰めを迎えている。あまりに進捗が悪いので、社畜としては失格なことに、年休を取った。今日を捧げて執筆する。
 これまで何度も出してみたいと思った同人誌だったが、印刷所の細かな説明を見るたびにウッッとしり込みして何もせずうだうだ来てしまった。ようやく出すと決まったのだから、最善を尽くしたい。積年の願いだっただけに気合ばかりが空回りしている。

 私は、歌集と日記本的な何かを出す予定。せっかく友人とサークル出店するから、サークルとしてのフリーペーパーも出したい。初出店なのに欲張りすぎている。ここ数日は原稿作業が深夜まで及んでいる。それでも全然時間が足りない。谷川俊太郎みたく明日と明後日が一度にきたらいいのにって思う。

 大学院の時になるほど、と思った"書くこと"をめぐる考え方に「生成論」というものがある。難しい論考のためだいぶ端折っていうと、書くことというのは本質的には終わることはなく、発表する(出版したりするために校了する)ために取りあえず終わらせているだけということ。潜在的には続きがあるし、変化があるし、実際に出版物によっては、重版や文庫化の際に手直しされることはままある。
 夜ごとに半狂乱になりながらカリカリ原稿を書いていると、書くことは本質的に終わることがないという感覚がよく分かる。私はあと数日で締切を迎えるから、形式的に今手元にある原稿を完成させて入稿することになるけれど、私にはもっと書きたいことが、直したいことがある。ああすればよかった、と想像は続くだろう。終わらせたくて終わらせるのではない。続きを書くことが許されるのであれば、喜んで書きたい。そんな気持ち。
 多分私は、締切がないと原稿を書けない人間だと思う。

 歌集はとりあえずできた。電子データとしては手元にあった短歌だけれど、本として物質として手元に来ると嬉しい。実存って感じがする。これは過去に作成したものに、何個か新しい歌を入れて作成したもの。最近は忙しさにかまけて短歌の活動ができていないから、またちゃんとやりたいなって思う。
 ついでにステッカーも作ってみた。ステッカーは何種類か作っておまけにする予定。私は副業をするつもりはさらさらないから、すべてが売れても赤字になるように計算してある。(ステッカーをおまけでつけるのも原価操作のためだったりする。)

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 そして身の程知らずなことに箔押し。「まだ海を見たことのないときの海」という、私の短歌のなかでは割と褒めてもらえる歌の上の句からタイトルを取っていて、それをイメージしたデザインにした。まだ海を実際に見たことがなかった子供時代、海ってものすごく幻想的で、きれいで、この上ない素晴らしいものだと思い描いていた。そんな気持ちに立ち返るような、想像上の海を表現したものだ。

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 自家歌集はこれでいいとして、なんと日記本とフリーペーパーがまだできていない。5月11日に間に合うのかだいぶ不安になってくる。一方で、とりあえず歌集はあるから何とかなったという安心感もある。

 締切に追い立てられて狂ったように文章を書いていると、たまに、自分自身がただ文章を書くだけの装置のようになる瞬間がある。私が自身の思ったこと・考えたことを文章にして綴っているはずなのに、私が書くべきことがどこか別の次元にあって、私はただそれに従うままにひたすら文章を入力しているような感覚。いわゆるゾーンというべき現象かもしれない。その時間をその時に自覚することができないけれど、ふと気づくとPC画面に文章が書き上がっているのだ。そして、すごく心地いい時間を過ごしていたような感慨だけがふわっと残る。私は、文章を書くことが好きで、そしてある程度向いているかもしれないなと気づいた。

 つまり、同人誌づくりは楽しい。自分に向いている気がするし、また次も作りたいと思ってしまう。こんなに毎晩泣き言を言いながら狂い書きしているのに。

 この調子で残りの原稿も頑張ります。

(↓続き)

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