高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

ハンチバック

 月曜日。早く起きてしまったから、今話題の文學界新人賞受賞作である市川沙央「ハンチバック」を読んだ。結論から言うとすごい読後感だ。感想を言うにもどこから言及しようか、どうやって言葉を選ぼうか躊躇ってしまう感じ。

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 作中の主人公は筋疾患先天性ミオパシーという難病を抱え、両親が残したグループホームの中で、電動車椅子で暮らす重度障害者の女性(作者の市川さんもこの難病の当事者だ)。難病の影響でS字に湾曲した背骨は、健常者ならできる日常生活の多くを困難にしている。両親の遺産で裕福に暮らしながら、Webライターとして風俗体験記を書いては収益を寄付し、通信制の大学に通い社会との繋がりを保つ一方、Twitterの裏垢では「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢」と吐露する。そんな日々の中で、グループホームにいるヘルパーの男性に裏垢の発言がバレたことをきっかけに、その男性とのセックスに1億5千万円を払う契約をする…というストーリーだ。

 衝撃的な題材も当然に面白く読んだのだけど、それよりも個人的には、文中にさらっと出てくる比喩表現の鋭さと切実さに圧倒された。たとえば、主婦や会社員などのような多数派の健常者にありがちな職業を「プルダウンから選ぶご職業」と言ってみせる(主人公はプルダウンの選択肢として想定されている正業に就けない)。自身が書いたTL小説で金を得ることを「高齢処女重度障害者の書いた意味のないひらがなが画面の向こうの読者の『蜜壺』をひくつかせて小銭が回るエコシステム」と言い捨てる。両親とお金に庇護されて育った自身の欲望を「金で摩擦が遠ざかった女から、摩擦で金を稼ぐ女になりたい。」と表現してみせる。こちらの方が取って食われそうになるような表現だと思った。

 また、ただ単に障害者としての生きづらさや障害者ならでは欲望だけでなく、健常者の特権について告発する部分も多くあった。例えば、主人公は背骨が極端に湾曲しており、重たい紙の書籍を長時間読むことができない。紙の書籍を読むための姿勢を保つこと自体が著しく困難だからだ。そのため電子書籍の方が望ましいが、物によっては紙の書籍を買わざるを得ないこともある。こうした折に、好みによって紙を選べる健常者を
「その特権性に気づかない『本好き』たちの無知な傲慢さを憎んでいた。」
「こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。」
と一刀両断。これにはぐうの音も出ない。

 人によっては、障害者の作者が障害者のネタを書くという話題性の方に注目するだろうし、おそらく作者自身が私小説として読まれることを折り込み済みで執筆した部分もあると思う。でも私はやっぱり題材よりも、細部の細かい表現の鋭さに惹かれた。全く違った題材で小説を書いた時、この作者がどんな表現をするのかとても興味がある。
 一方で、重度障害者のままならなさについて、どう感想を述べていいのか言葉に窮する自分がいて、そういう言葉を躊躇ってしまう自分がいること自体が、これまで障害者の問題を避けて通ってきた/避けて通ることのできた健常者としての自分の特権性そのものだなと思うなどした。だから急にこういう問題を真正面から突きつけられて、私には応答する言葉がないのだろうなと思う。圧倒された。

 私はよくも悪くも読後感が異様な作品が好きなのだけど、まさしくそういう小説だった。芥川賞獲るかな。獲ってほしいというより、獲るべき、が感覚的には近い。

 

(追記)
 5月28日にインタビューが載っていた。応募生活20年以上だと知ってまた衝撃。

 

 

(もうすぐ単行本も出るらしい。予約しました。)