高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

雑感まとめ(5/4-5/10)

5月4日(日)

 GW連休は2日目。家にある植物たちの世話。屋内外の寒暖差が少なくなってきたから、遮光ネットをベランダ全体に張って、屋内で越冬していた植物たちを順番に外に出す。遠い大陸で生まれたものたちやその子孫が平々凡々な私たちの家にある光景は不思議だと思う。

 同時にちょっとオリエンタリズム的な、自分が未開の地のものを収集したくなる暴力的な欲望も感じる。そういったことには自覚的でありたいけど、単純に植物の造形美に惹かれる気持ちもある。私は淡々と迎え入れた草木を育てていくだけだ。

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 ここにある植物の大半は、この国で人間の世話無しに生きることが出来ない。自生地と日本では環境が違い過ぎるからだ。だから、言葉も話さない植物にうやうやしく世話をするのだけど、黙々と世話をしていると、時折、隷属するって心地いいなと思ったりする。私がやるべきことの根底には「植物の生育にいいことをする」が流れていて、常に目的が明白であることが心地いい。普段の仕事に疲れ過ぎているだけかもしれない。
 たまに猫を飼う人が「猫の奴隷やってます」って茶化して言うじゃないですか。あれはネットのユーモアで言ってるだけかもしれないけれど、嬉々として言うのはちょっと分かる。喜んで身を捧げられる主がいるということ。

 玉ねぎから葉が出ていた。こちらは別にお世話などしていない。目指してもいないけれど、いつまで経っても丁寧な暮らしができないでいる。わざわざ「丁寧な暮らし」と表現する日本語がおかしい。逆説的に丁寧でない暮らし、雑な暮らしの存在が前提にあるといこと。雑な暮らしをわざわざキャッチーに「雑な暮らし」と言わない。雑で粗野なほうがデフォルトでしょう。

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5月5日(月)

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 GW連休3日目。チョロいからコーヒーに少しいいお菓子がつくだけでご機嫌になれる。持続性は乏しいが。継続的で緩やかな贅沢が健康的な生活には必要だと思う。こういったことこそ義務教育で教えてほしかったです。文科省は何をしているのですか。(と言いつつ、文科省も人手不足で大変みたいだから、あまり責められはしない。仕事でたまに関わるだけに。)

 今度も文フリ東京40の宣伝用のお品書き画像を作るなど。あまりに誤字が多過ぎて,共同出店する友人たちに申し訳なくなる。最近、仕事でも凡ミスが多い。業務量と仕事が猟犬のように追い立ててくるから、もう行き倒れてしまった方が楽なのかもと思う。最近体がほてって、体調が悪い。
 Xのタイムラインを乱さないよう宣伝をしているけれど、これって届くのだろうか。大学生のころ、バイトで学習塾のビラのポスティングをしたことがあったけれど、3千戸に投函して2~3件問合せが来たらいい方だと聞いた。だから打率を挙げるために効果的な時期(卒業・入学シーズンや定期テスト後)に配るのだという。不特定多数の中の誰かに届けるって途方もない作業だ。

 夕方、対応しなければいけない仕事と残務のため、職場へ行った。意外にみんな仕事していて最悪。何もかもが間違っている。職場にはいつか報いを受けてほしい。

5月6日(火)

 GW最終日。4連休じゃ足りないくらいに体が疲れ果てている。「疲れ果てる」は英語でexhausted、語源は、水を汲みだすこと。水を汲んで汲んで枯れ果てた井戸。そんな心境。

 ひとり工場制手工業で文フリに持っていく本やステッカーの袋入れをした。箔押しした本、箔の部分が繊細なのか一冊、爪でガリっとやってしまい泣いた。運搬の最中になにかあったら精神衛生上よくないから、Amazonで買ったOPP袋に封入する。ステッカーは結構多めに用意できたから単体でも売るかな。かさばるものでもないし。


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 黙々系の作業は楽しい。精神統一できる感じ。頭がすっきりする。
最近の職場、黙々とやる作業が減ったなと思う。不要な書類のシュレッダーとか、ひたすら配布資料のホチキス止めとか、非常勤のパートさんが担当になっているし、そもそも電子化でそういった作業自体が減った。手元に残ったのは、調整することや考えること。何かを考えているって、負荷がかかるし正解がなくてしんどい。シュレッダーは紙を突っ込んで紙屑にするのが圧倒的正解だから気持ちいいな。気分転換のために軽作業も正社員の手元に残してほしい。


 夜。冷蔵庫の在庫処分飯。茄子ってどこに「もう食べてはいけないライン」があるかよく分からない。すこし皺が寄っている茄子をしばらく水につけて炒めて食べた。

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5月7日(水)

 仕事。疲れが取れていない。寝ても寝ても眠い。非常に面倒な上役への2度目のレクで、「それ今じゃないでしょ?」というレベルで些末な、有り体にいうと至極どうでもいいこだわりに起因した細かい修正が入る。この上役は私たちの業務改善をしようとしていると言うが完全に逆行している。そんな意味のない1時間強だった。だって、今レクしている会議は明日ですよ。今から修正して差し替えする手間を、ほんの少しでも考えてくれたら嬉しかったよ。

 連休明けから過剰労働して終電で帰った。みんな嫌いだ。

5月8日(木)

 仕事。面倒な会議は滞りなく変わった。私が夜更けまで差し替え作業したからそうでないと困る。でも会議で審議する内容に私の作業はあまり営業を及ぼさないから、本当に無駄な仕事だと思う。こだわりの強い上役に意向に沿っただけで。ムカつくからキッチリ残業をつけさせてもらった。

 ちょっと嫌なことがあった。職場に、人に仕事を押し付けるのがすごく上手い人がいる。本来その人の仕事だとしても、「私がやってもいいんですけど八月さんの方が慣れているし、自身でやりやすいように対応されたほうが良いかと思いまして〜」と、こちらに配慮する身振りで、拒絶しづらい感じに仕事をスライドしてくる。
 それでも拒否すればいいんじゃない?と思う人もいるだろうが、こういう人はみんなが見ているところ(会議とか部署内の打ち合わせとか、ひどい場合はお客様が見ているところ)で私に仕事をスライドしてくる。私が断れない空気に持っていくのが非常に上手く、芸術点が高い。だからこそ悔しいし、腹が立つ。オフィスワークは人間関係が肝だから、無下に断れない状況に持ち込まれると困る。

 こうやって仕事を受け入れて丁寧にこなしていくことで私の年収が上がればいいのだが、そう出来ていないのが労働社会の嫌なところ。なんか、人の死なない程度の大災害が起きて、労働社会の原理を更地に戻してほしい。また一から作り直そうよ。そんなことを思う。

5月9日(金)

 今日が終われば週末であるという一筋のひかりが私を生かした。

 退勤後は、星が丘駅まで行ってきしめんを食べた。きしめんが食べたかったのではなく、主目的は紅しょうが天。紅しょうが天大好き。労働を生き抜いた自分への祝福。串カツ田中の紅ショウガカツも好き。きしめん屋だけれど、天ぷらを1個単位で注文できるの嬉しい。

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5月10日(土)

 明日の文フリのため新幹線のスマートEXアプリで切符を購入。EXアプリを作った人、日ごろからシステムの保守を行っている技術者にはノーベル平和賞を授与したい。それくらいありがたい。寝坊しても、アプリ上で払戻し→別のチケット購入ができる。高校生の頃、新幹線のチケットを取るときは旅行会社のカウンターに行くか、みどりの窓口のある駅まで行ってたからアナログだった。寝坊できないから緊張感もあった。

 午後は予約していた美容院へ。毛量が多く、月一で切らないと社会的に死ぬ。社会的に死んだ状況で東京さ行くなんてできない。トリートメントもしたら普通に万超えて泣きそう。でも万払う価値があるって知っているから苦しい。髪に課金するようになってから、朝の支度が爆発的に楽になり、私のメンタル維持に貢献している。ただし金は減る。

 明日、本、売れるかな。5冊売れたらいいなって思っている。1冊も売れないのは悲しいから。イベント後も細々と通販することを前提に多めには刷っているから、売れ残ること前提ではあるけれど、せめて少しでも帰りの荷物が減ったらいいなあ。

 なんとなく最近の自分の日記を読み返してみた。多忙期の私の文章は死ぬほどつまらない。養分をすべて労働に抜かれていると感じる。一方、他人の書く文章はいつまで経っても面白いままですごいなと思う。