金曜日。平日最終日です。GW明けに2日行ったら週末というのは最高にありがたい。明けが5日間フル勤務だったらいろいろと死んでしまう。週3日パートタイム勤務で手取り25万円貰える世界線に引っ越して暮らしたい。
仕事。本日も面倒な案件が追加で舞い込む。連日ですか。ちょっとおかしくないだろうか。この一ヵ月で昨年度ぶんくらいの量を抱えているのだが。予測できない窓口業務の辛さ極まれり。
10時ごろ帰宅。同居人もその後すぐ帰宅。同居人は本日休暇で、凛として時雨のライブに行っていた。ものすごくいい席で最高の思いをしたらしい。
夕食。ざる蕎麦。ざるがないから蕎麦。スーパーで冷やし中華の隣くらいにあった二食で250円くらいのやつにした。ビニール詰めのひと玉20円の蕎麦に比べたらかなりの高級品だ。といってもお店で食べるより格段に安い。ゆでて水で締めてめんつゆで食べる。ひと玉20円のとは違ってコシがあって途中で切れたりしなくておいしい。
最近、世間が求める「普通」のハードルがどんどん上がっているなと個人的に思っていて、なんでも当然に完ぺきにできないといけないというか、できないと常識ないとか、能力がないというレッテルが貼られている感じがして地味につらいなと思う。そんな愚痴をツイートしたら思ったより反響あったから、同じように考えている人が多いのだろうな。
私は自分の文章を校正していて、誤字を見つけるのが苦手なんですよね。自分の書いた文章というのは、書きあげるまでに何度も読み返しているから、他人の文章よりも間違いを見つけるのが難しいという。自分自身で補完して読んでしまうから。そんなことは自分自身が良く分かっていて、長文を何度も何度もチェックするんです。それを会議にかけたりして、一文字でも誤字があったりすると大罪みたいに言われたりするのです。
大学院のころは、学問分野もあってか、留学生が多いこともあってか、自分の意図が伝わりさえすれば誤字については指摘されることすらなかった。人間は完璧じゃないから間違いは必ずするし、そもそも言語は伝えるための道具であって、自分が伝えたいことが伝わればそれでよいという共通認識だった。文法語法の授業ではないのだから、そこに完璧さを求めていない。校正や校閲というのはそれだけで仕事をする人があるくらいの専門的な技術で、普通の人がそれと同じ水準でやることは無理がある。私は昔から何度も何度も自分の文章を読み返して、それでも自分の誤字が見つけられないことに悩んでいた。なにか病気なのでは?と思っていた。こんなに何度もチェックしているのに、自分の文章もチェックできない注意力散漫な人だと思われているようでつらかった。だから大学院の日々はとても救われていた。
事務仕事では毎日毎日たくさんの文章を作り、たくさん書類を作る。それひとつひとつにかけられる時間には限りがあって、どれだけ頑張っていても漏れてしまうことがある。それを確認してもらうために内部の打合せや会議で第三者に確認をしてもらうはずなのに、誤字はなくて当然なんて、いったいいつから言われ始めたのだろうな。
大学受験や就活をしている時も「普通」はおかしかった。ボランティア活動しているのが普通で、習い事しているのが普通で、英検漢検持っているのが普通で、部活動を頑張っていることが普通。アルバイトしているのが普通で、趣味があるのは普通。ストレス耐性があるのが普通。キャリアプランがあることが普通。普通ってなんだろう。だれがいつそれを決めたのか。
0時頃就寝。普通からかけている部分、普通からはみ出る部分を許して生きたい。