土曜日。憲法記念日。
ようやく『教皇選挙』を観ることができた。夫を巻き添えにして行った。名古屋の伏見ミリオン座に行くと、外に本日の『教皇選挙』は全上映完売の報せが出ていた。予約しておいて正解。先日の教皇死去もあったか注目度が伺えた。こんな内容の映画が上映されている最中に現実で教皇がなくなるなんて、なんか、神というか、上位存在の思惑を感じる。私は神は信じていないけれど、こういう不思議な出来事が起こると、形而上学的な存在としての神を持ち出して物事を考えてしまいがちだ。奇跡みたいな出来事が起こったことの不思議さを志向する時に有用な、概念としての神様だ。
コンクラーベ(教皇選挙)の予備知識は一応あって、昔から、まるで創作のように魅力的でよく出来た制度だなと思っていた。2/3の得票数でだれか一人を選び出すまで、ほぼ軟禁状態とも言える管理下でひたすら投票を繰り返す。当然、中でいろんな政治的軋轢があるだろうと思わせる枠組み、密室選挙であるという神秘性、全てが良くできすぎていてずるい。夫はあまり予備知識はないらしいけれど、教養深いオタクだから大丈夫だろう。
夫はなかなかの教養人だが、普段は「小学5年生の精神のまま大人になりました」みたいに爪を隠して生きている。人間的に隙があっていい。私もそんな風に生きてみたいと思う。
超面白かった。すごく明瞭でスッキリしたストーリー展開、わかりやすい人間関係の相関図、綺麗な伏線回収。でもミステリアスな部分はしっかり残している。豪華絢爛で美しい映像とのバランスがちょうどよくて、なによりストレスなく観れた。映画を観る上でストレスがないの、地味に大事。基本的には真面目な映画だけれど、シリアスな中にコミカルな場面もあって良かった。主人公が最後まで本心でどう思っているか分からないことも。
(ここからしばらくネタバレ感想メモ。)
・教皇が死去してコンクラーベを行い新教皇が決まるまでの話であるけれど、中で起こっていることが今の現実社会を示唆しているのが面白かった。これまでの強国ではない国からの枢機卿や、元々のカトリックらしく極めて保守的な主張をする枢機卿が有力候補に台頭している。それに対抗するために「常識的な範囲内で多様性を認める」という立場をとる者。選ばれるための本音と建前が見えて面白い。
・選ばれるため、戦略的に多様性を取り入れる者がいる一方、修道女と枢機卿たちの性別による役割が厳格に分かれている皮肉。修道女の一人の「私たちは目に見えぬ存在ですが、神は私たちに目と耳を与えました」という言葉の重み。映画の中で、いい意味で修道女に話しかける人物はほぼ主人公しかいない。
・冒頭、教皇死去後のシーンで枢機卿の一人が懐かしんで言う「教皇はチェスで8手先を読む」頭脳派であったことが伏線。教皇は生真面目な主人公にコンクラーベを取り仕切らせ、本懐である隠し玉の枢機卿(メキシコ出身、アフガニスタンで隠れて勤めていた人物)が新教皇に選ばれるように計算している。
・主人公は真面目で「正しい」人物像、死去した教皇にとっては新教皇候補の2番手だったと思った。アフガニスタンの枢機卿か選ばれなかった場合も、主人公が他の枢機卿の不正やスキャンダルを順当に暴くことで自然と有力候補者になるように構成になっている。アフガニスタンの枢機卿が選ばれなくても、主人公が教皇になったはず。死去した教皇の入念さよ。
・最終的に教皇に選ばれたアフガニスタンの枢機卿が、物語の明確な第三者として機能している。中東の宗教事情から枢機卿の存在すら隠されていた人物で、他の候補者と政治的なしがらみもない。しかも、男女の別が厳格なカトリックの世界で、この人物は性分化疾患をもち男女という二項対立で捉えられない。一方、信心深さは群を抜いている。亡くなった改革派の教皇がこの人物を推すのは道理。
・新教皇がインノケンティウスを名乗る理由はなんだろう。同じ語源であるイノセント/イノセンスと重ねているのか、カトリック教会が絶大や権力を持っていた時代のインノケンティウス3世にあやかっているのか。後者の場合、ものすごい野心家ということになる。この名前を聞いた時の主人公の表情よ。なんとも言えない多義的な顔。
夕方。今池のボトムラインで小山田壮平のバンド編成ツアーのライブ。小山田壮平とは元andymoriのギターボーカル。コーネリアスの小山田圭吾と並んだ邦楽界の二大小山田だ(と、勝手に主張している)。なお、小山田壮平のバンドツアーにはサポートで元andymoriベースの藤原さんがおり、andymori時代の曲も結構やってくれるからほどandymoriな瞬間もある。
今回はサポートで元くるりのファンファンがいるから絶対行きたかった。ファンファンはandymori時代から参加している曲がいくつかあるのだ。
小山田壮平は本当に本当に歌が上手くて、聴くたびにシンプルに感動する。私は年がら年中いろんなライブに行く生活をしているから、段々とライブの神聖性みたいなものが薄れていきがちだが、小山田壮平の歌を聴くと、ああ、ライブっていいなと再確認できる。CDで聴くと、喉を酷使して声を出しているように聴こえて、え?大丈夫か?と思ったらするんだけど、ライブではあの声のままものすごい声量で、しかも比類のない安定感で出てくる。ライブ前夜に大酒を飲むくらいだから、喉が丈夫なんだろうか。天性だと思う。
小山田壮平が「この前の大阪公演は歌詞ノーミスだった」と喜び爆発させており面白かった。その後ろでベースの藤原さんが保護者みたいな合いの手を入れていたのがよかった。なんでベーシストって、あんなベーシスト然としているんだろう。ベーシストには同じ種類の魂が入っているのうな気がする。今日のライブも全て最高だった。ファンファンのトランペットがあると音が華やかになる。生音っていいなと思った。
ライブはこの上なく最高だったのだけど、一部に治安の悪い客がいて、曲間やMCでステージ上の演者に絡んでいたのが最悪だった。tiktokでにわかにandymoriが流行ったせいか、前回のライブでもちょっとライブ慣れしていないのかな?みたいな変な人たちがいたけれど、今回は逆の意味で際立って最悪だった。一時期のロキノンフェスにいたような、サークルやモッシュで自分が目立たに行くような客の雰囲気を感じた。演者たちが適度に返事していなしていた気はするが。ここまであからさまに最悪だった客を見たのは久々。
ライブが最高だったのにこんな感情が残るのは悔しいな〜。みんなが楽しい空間になるといいよねライブって。