木曜日。Twitterでフォローしている方のお店で購入した作品が届いた。小さな箱を開けてると、ガラスでできた小さな石が敷き詰められていて、その一つ一つが光を集めている。写真にうまく収められたかよく分からないけれど、うっとりしてしまうほどきれいな作品だ。
この作品はSHIDA MANAMIさんという作家さんの作品で、ガラスの小石は一つ一つがすりガラスのように研磨され、河原で拾った小石のように種々の模様が施されている。私はこの作品が販売されるお知らせを見た時から、写真の美しさと素晴らしすぎるコンセプトに完膚なきまでにやられてしまい、気がつけばこの作品を買う前提で生活していた。お知らせ時点では値段が分からなかったけれど、いくらでも買うんだと決意していた。こんなものが売っていていいんですかと思った。まったく実用性のない作品と言われてたらそれまでだけれど欲しかった。
結果、販売開始の時刻を少し過ぎていたものの、オンラインストアにはまだ在庫があり無事購入できたのでした。いつものように写真を撮ってツイートすると、いつもとは比べ物にならないくらいツイートが拡散されて、ああやっぱりこの作品に惹かれるのは私だけではなかったんだなと少しほっとした。いいものがいいものとして認知されるのはとてもうれしい。
ガラス小石の小箱を衝動買いしました。良すぎる。こんな素敵なものが売っていて、しかも買えてしまっていいのでしょうか pic.twitter.com/pNkjdsfsdd
— 八月 (@koseee_) 2024年9月18日
もしかしたらみんな、少なくとも私と同じ時代を生きている人々には誰しも、河原で小石を拾ったり海辺でシーグラスを集めた記憶があって、仮にそんな経験が無くたって架空の記憶として保持していて、自然の中で美しいものを集めることへの憧れがあるかもしれないなと感じた。単純な所有欲としての憧れというよりは、ノスタルジーに近いものを感じた。子供のころにあったけど今は失くしてしまった、失くしかけている、あるいは子供のころにできなかった小石拾いを楽しめる心への憧れみたいなものかもしれない。小石拾いの社会学について研究している人とかいないだろうか。
たくさん拡散されて、この小箱を作成されたSHIDAさんや、取り扱いをしていたお店にポジティブな還元があるといいなと思う(意図せずバズって迷惑かけていたら申し訳ない)。一方で、たくさん拡散されたけど、この作品を購入したいと願った人のほとんどすべてが手に入れることができなかったと思う。この小箱はアートピースであって量産品ではないからだ。
それにがっかりした人もいるかもしれないけれど、私は大量生産・大量消費の時代にあってお金を差し出しても買えないものがあることは一つの救いだと思っているから、これはこれでいいかもと考えている。いつでも買えるってぜいたくですよね。私が欲しいものは、しばしばその時その瞬間に買わないと一生手に入らないかもしれない作品たちも多いので、何かと戦う気持ちで、御手合せ願おうと買い物している気がする。
小箱を買ったお店です。いつもたのしいお買い物をさせてくれる素敵なお店です。SHIDA MANAMIさんのインタビューもあります。↓