高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

夢の城は中古

    日曜日。引っ越しをする。

 家を買った。こんなに早く買うことになるとは思わなかったけれど、色々あって買うことになった。家は名古屋市の近隣の自治体にある、築浅の一軒家。六十坪の土地に、軽量鉄骨造りの一戸建てが乗っかっている。そこそこ広い庭がついて、最寄り駅まで徒歩十分。夫婦二人で暮らすには贅沢すぎるくらいだ。そんな家に今日、引っ越した。

 

 ここ数日の引っ越し準備はとにかく大変だった。わずか四十平米ほどの賃貸マンションの一室から、信じられない物量の荷物が出てくる。しばらくは箱と暮らしていた。五十箱以上の荷物となり、引っ越し屋のスタッフには荷物が多いと苦笑いされるほどだった。そんな大荷物も、引っ越し屋は衝撃的なスピードで運び出していき、六時間かかるはずだった引っ越しは三時間足らずで呆気なく終わった。荷造りに三週間かけ、引っ越しは三時間で終了。超人気ジェット―コースターのようなイベントが終了した。これから荷解きがあるけれども。

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 家探しを始めたのは二〇二三年一月に遡る。長い戦いだった。

 戸建てからマンション、注文住宅・建売・中古と、色々な選択肢について好きなだけ悩んだ。住宅展示場や、住まいの窓口的なところへも行った。そのなかで実感したのは、昨今の住宅は、自分がこれまで想像していた値段ではもう買えないということだ。高すぎる。全てが高すぎる。私の母は、一軒家(私の実家)を建てた当時は専業主婦で、つまり父の稼ぎだけで家を買う選択ができたということだ。高額すぎる住宅価格を前に気が遠くなる。上昇していく人件費と物価に賃上げが追いついていないのは住宅にも当てはまる話ということか。

 どうせなら注文住宅で、と思っていたけれど、土地探しで難航した。土地は土地で、残っているのは高価すぎるか、狭すぎるか、立地が悪すぎるかのいずれか。ちょうどいい価格のちょうどいい土地はいつだって奪い合いだ。だから気長にいい土地が売りに出るのを待つあいだ、中古も手広く見ることに決めた。そんな折に、立地も広さも値段もすばらしい築浅一軒家が売りに出たことに運命的な巡りあわせを見出し、買うことにした。同じ条件で注文住宅を買うとなると、私たち二人の生涯賃金ではとても手が届かなそうな代物だった。

 

 担当の不動産屋から聞いた話では、昨今は住宅価格の上昇が激しいから、中古市場がとても活況なのだそう。一方で、社会情勢による先行き不安で売り手は減少傾向らしく、簡単に手放さないんだそうだ。これから劇的な賃上げでも起きない限り、本当に持ち家に手が届かなくなる世の中がすぐそこまで来ているのだろうと感じる。私たちは私たちで地獄のようなローンを背負って生きていくわけだけれど、それでも幸運なほうではあるのかもしれないと思う。世界はいつだって過渡期だと思うけれど、本当にいまは過渡期なのだと感じた。

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 家を買ったというのは、自分の人生において屈指のインパクトにある出来事になる。そう直感した。起承転結の転であるし、音楽で例えれば転調だし、私の中のコペルニクス的転回で、つまり革命的な出来事になったということだ。ここまでの衝撃的な出来事は、私の中では、大学院に進学したこと、三十歳になったことと、この家を買ったことだ。私はこの場所を選んで、この土地に根を下ろし、これからの人生を新しく生きていくのだという実感がある。その実感を、家を買うという行為を通じて、改めて教えられている気がするのだ。新しく生きていくために家を買うのではなくて、家を買う私はここから新しく生きるのだと分かる感覚。言葉にするのが難しいけれど、伝わるだろうか。