2023年もあっという間に終わってしまった。どんな一年だったか思い浮かべたとき、思った以上に記憶がないな、という感慨があった。2023年の方が前年よりも、何かに追い立てられ、常に極度に疲れていた。改めてこの一年を振り返ってまとめてみる。ちなみに去年のものは以下の通り。
とりあえず結婚しました
3月に同居人と結婚をした。これもあって2023年の滑り出しは義実家への挨拶や両家の顔合わせ等で忙しく過ごした。私も同居人も、それまで親族に交際している人がいることを全く明かしていなかったから、親族を驚かすところから始まった一年だった。申し訳なかった。
結婚を反対するような両親・義両親ではないし、付き合いも長いから今更特別な感慨はないけれど、周囲の人に「(二人は)これからどうするつもりなの」と言われ続けてきた関係性に一区切りつけることが出来てよかった。結婚した結果、周囲からのおせっかいなノイズが急になくなって、この一年すごく静かになった気がする。好きな人はいるの、気になっている人はいるの、という質問を受けなくていい気楽さは心地よかった。
裏を返せば、独り身の人間にとってはこの国で生きているだけで、そういう小さな小さな圧力があって、日々この干渉を受けて、独り身ではいけないという考えが醸成されるのだろうか。少しだけ、どうしても結婚した/結婚していたという経歴を欲しがる人々の気持ちがわかった気がした。結婚に大した意義を見出していなかったけれど、あの疎ましい干渉を受けなくて済むというだけでものすごい価値があるように思えてくる。もっと気楽に生きられる社会になるといいのにな。
指輪は家計のお金から毎月少しずつ積み立てたお金から身の丈に合ったものを買った。揺れる波間のようにきらめくシンプルなプラチナの塊だ。わずか数グラムの金属に何十万も費やす日がくるとは思わなかった。人生何があるかわからないなと思う。とりあえず一生着けていても飽きないものになった。これを外す日が来ないといいが。
いつだって異動が人生を狂わせる
1月から6月まではおおむね平穏に過ごした。過酷な部署での仕事は丸4年に近づき、2022年に労働環境改善のために奮闘したおかげか、業務量は大幅に改善されていたのだ。それでも忙しかったが、忙しいながらも慣れた仕事は私の生活を幾分か平穏なものにしてくれた。
7月に人事異動があり、そこからはまた忙しない生活に戻ってしまった。それはそれは胃の痛い毎日だった。というのも、今回の異動もまた経験したことのない業務を行うポジションだったからだ。右も左もわからない状況で一から自分の仕事の進め方を模索する日々はとてもストレスフルだった。特に億単位のお金を管理し分配し、適切に執行しなければいけないという業務はいまだに嫌だ。自分のお金以外を扱う仕事なんてごめんだと思う。
私にとっての人事異動はいつもこうだ。キャリアプランもへったくれもなく、これまでの正反対の仕事ばかりさせられる。大した引継ぎもなく、今までの知識も何も役立たない状況の中、前任者と同様に滞りなく仕事しなければならない、新人さんが配属されたら確実に病むような環境。自分が新人ではなく、辛いことを多少は乗り越えてきた人間でよかったなと思った。
現実を悲観しても仕方ないから前向きに頑張ってきたけれど、とにかく7月以降の私は疲れ果てていた。帰宅瞬間に身体が重くなり、急激な眠気に襲われる。皿洗いしながら眠ってしまい皿を何枚も割った。頭がぼんやりして物忘れが激しくなった。それなのに寝床につけば明日がおそろくて眠れない。朝起きれば、身体が重たくて起き上がるまでに時間がかかる。この日記の更新ペースがおち、下書きにメモの残骸ばかりが溜まるようになった。ツイッターを今までのように追えなくなっている。またうつ病を治すために戦うあの日々に戻りたくない。だから日々に抗っているけれど、正直かなりしんどくなっている。
おそらく労働時間的には22年の方が多忙だったはずだ。その証拠に23年の源泉徴収票を見ると50万円以上年収が減っていた。それでも精神的な疲労は今年の方がすさまじかった。疲れた挙句に年収は減り、昨年の収入による所得税だけは多く最悪な一年だったとも言える。慣れない環境で慣れないことをするのがいちばん疲れるのだな、と改めて学んだ人事異動だった。
それにしても、私はいつまで経っても職場の本部から出してもらえないようだ。私は昇進も出世もしたくない。早く辺境の部署にいって穏やかに過ごしたい。組織の中枢はつらい。いつも人の悪意と、世の中の嫌なところと嫌な仕事がごった煮になっていて、自分まで嫌な人間になっていくような気がする。だからいち早くここから離脱したい。
特に今の部署の嫌なところは、仕事の押し付け合いがすごいこと。上司から無理矢理渡される仕事だけでなく、外部の人間から押し付けられる仕事もつらい。今は全部英語で対応する業務を押し付けられ(騙されたに近い)、英語ができないくせに対応させられている。みんな、自分がはやく帰りたいから誰かに仕事を押し付けようとするのだ、頑張ってもインセンティブのない公的業務ならではの日常的光景だ。泣き寝入りはしたくないから可能な限り食い下がり戦っているけれど、それでも最若手な都合上、どうしてもやらねばならない仕事が降ってきてしまう。それがとても悔しい。
自分の2023年のツイートを見返すとそんなに辛いようには見えなかった。しんどい毎日をなるべくツイートしないようにしてきたからだろう。でもメンタル的にはかなりしんどいところまで来ていて、ぶっちゃけ寝つきも悪いので、2023年はもっと上手く戦って行きたいが、果たして…。でも貯金はそれなりにあるから、何かあったら逃げるようにはしておきたいなと思っている。
ふたりだけで挙式をした
話は戻り、3月に結婚したのも束の間、こんどは挙式や披露宴はどうするのか、というのを考えなければいけなかった。クソ忙しくて余裕はないのにミッションだけはたくさんある。もともと私は披露宴をやって親族を呼び、感謝の手紙なんて読みたくないという強い意思があったが、幸運にも夫も似たような考えを持っていたため、ゲストを呼ぶような挙式・披露宴をしないという方針は平和的に決まった。ただ、何もしないというのもアレだ。そこで、フォトウエディング的なものは実施して、親族に写真を見せるくらいのことはしようという結論に至った。当時はまだコロナがこれからどうなっていくか分からない空気感があり、それも私たちの決断を後押ししてくれたと思う。いろいろ調べているうちに2人で挙式をできる式場もあることが分かり、旅行ついでに遠くに行こうということで、北海道の「水の教会」行きが決まった。
二人で挙式ついでに写真撮影を行うだけだったため、自分たちの衣装合わせやプラン決め等を行うのみだったが、それにしても仕事の合間を縫ってひとつひとつ決めていく作業は骨が折れた。これで不仲になってしまうご夫婦やカップルがいるの少し分かる。仕事ではないのに仕事をしているような時間が毎週末訪れるなんとも嫌な感じだった。ゲストをたくさん呼ぶような披露宴を行う人たちはさぞ大変だろう。それでも私たちはプランナーさんに恵まれ、接客業をするために生まれてきたような明るい彼女に、私たちのほうが元気づけられていた。いい仕事ぶりを目の当たりにするとこちらまで引き締まるのは不思議だ。これはいい経験だった。
挙式はお盆休みを利用して行った。行きのフライト直前には台風が接近しており、本当に北海道に迎えるか危ない綱渡りをすることになったが、無事に行くことができた。北海道に滞在中は終始天気が悪かったが、挙式の最中は一瞬だけ晴れ間がのぞいた。
二人だけの自己満足的な式だったけど、結果としてはいい記念になってよかったなと思う。自分たちが納得するものを、誰からの援助も受けずに執り行って、身の丈にもあって御の字じゃないかと。最近は身の回りでもそういう感じで小じんまりと式を行ったり、何も行わない人も増えている。時代の転換点でもあるんだろうな。いつまでもバブルを引きずった豪華なものはできないだろうし。私は選択肢のある時代に選択を出来てよかった。
結婚したところで私たちの関係性は変わらないし、私も私で良妻になろうだなんて気はこれっぽっちもないので、社会がなんと言おうが、二人が二人のやりたいことをやりたいようにできるような関係性を模索していきたいなと思った。
無理矢理にでもフッ軽を目指す日々
ここ3年くらい仕事に忙殺される期間が続いていており、週末は疲れ果てて寝て終わる、という残念な日々が続いていました。そのため、自分の時間を充実させるというのを2023年の目標の一つとして掲げてました。仕事ばかりにかまけず、自分のために時間を使い、自分のために投資したかった。その実現に向けて、とりあえずは後先を考えずに予定を入れて先取りをするようにしました。
いちばんはなんと言ってもライブです。コロナ禍が次第に明け、昨年度は極端に減っていた音楽イベントの類が帰ってきました。今年はとにかく予算度外視で、行きたいと思ったものには平日・土日関係なくまずは応募するようにした。平日であることや、値段などを理由に好きなことを諦めないことにしたのです。休みは後から調整すればよい、仕事も後から整理すれば良い、その精神を強く押し出して私用をどんどん入れました。そのおかげで、今年はたくさんのライブに行けました。相変わらず忙しかったので、ライブの予定を入れすぎて死に瀕した時期もあったけれど、つまらない理由で諦めなくてよかったなと思います。やっぱり暇は自分で作っていかないとな、と強く思いました。
(↑夫と整理番号1、2番で拝めたアジカンのライブ。※撮影OKのシーンより)
また、今年は自分のための散財を増やそうと考えていたので、自分が欲しいものを値段を理由にせず買うようにしようと思っていました。自分がずっと欲しかった靴を買ったり、いつもは値段で諦めていた服を買ったり、豊かな消費活動ができたように思います。ここ数年は貯金をすることが第一目標で、それ以外の出費といえば実用的なものや夫婦共用で使えるものが優先されていたので、今年はそうではないものを買いたかった。結果、それはそれはたくさん散財してしまい焦ったのだけど、それでも不思議と毎年の目標貯金額は達成できた。これまで無駄に浪費を避けていたつもりで、実は安物買いの銭失いをしていただけかもしれないなと反省。
他にも、三連休とかに家でゴロゴロしたり、在宅でサービス業務をするんじゃなく、近場でもいいから積極的に足を運ぶようにしようと考えていて、それなりにいろんな外出ができた。行ったことがある場所でも、年を重ねた後に再度行くことでまた違った感慨もあった。先に前売り買って美術館や映画館に行ったり、週末にいつもより早起きして近場へ出かけたり。昨年は疲れ果てて寝て過ごしていた週末を少しはうまく使えるようになった。それでも疲れて寝ている時間も多かったけれど。来年はもっと上手く生活して、失われた自分の時間をもっと取り返して行きたいなと思います。
2023年の総括
1年前にいろいろ目標を立てたのだけど、個人的には思ったより達成できなかった。
- とにかく我慢しない。泣き寝入りしない。
仕事では、だいぶ自分を主張して戦うことは出来ている。油断すると「自分がやったほうが早い」と自己犠牲的に仕事しがちになるので、何がなんでも戦っている。それでも自分が被らざるを得ないことが多いのは職階社会のつらいところ。が、泣き寝入りはしないで済んでいると思う。
- いつでも転職or退職できるくらいの準備をしておく
転活は常にしている。ただ、最近同期ともよく話すのは、なんだかんだ今の職場も福利厚生的には恵まれているよね、ということ。今後の出産可能性を考えた時、今の職場ほど制度が整っている仕事は結局同業になってしまうし、年収を維持したままこれ以上の転職先を探すのは難しい。だから拙速な転職は考えていない。ただ、いつでも辞めていいように蓄えだけは溜めている。
- 同居人とどうにかなる
とりあえずは結婚したし、当分はこれで世間様にも干渉されないだろう。
- 仕事しすぎず、自分の時間を充実させる(継続目標)
仕事は相変わらず忙しいが、それなりに達成できたと思う。2024年はもう少し自分を優先したい。遅くとも18〜19時には帰宅する人間になりたいな。今だとそれができていない。
- 散財しつつ貯蓄する
ゴリゴリに散財し、ゴリゴリに貯蓄できました。
- 同人誌出したり資格取ったりする
同人誌を出すところまで手が回らなかった。というか、創作活動全般ができていない。資格も、申し訳ない程度にTOEICの得点維持をしたくらいで、新しいものにまで手を出せなかった。めちゃくちゃ反省点。
抱負2024
泣き寝入りしない2023/気高く生きたい2024 https://t.co/LSW0ZktR3K
— 八月 (@koseee_) January 1, 2024
数日前のツイートですが、今年は泣き寝入りしないのはもちろんのこと、とにかく気高く自分を貫いて生きたいなと思います。
とりあえず職場では悲しいことに誰も守ってくれないどころか仕事を押し付けられてしまうので、何が何でも自分の日常を守るために戦い抜いて、自分の時間を有意義に過ごせる良いになりたいです。でも、職場で嫌な奴になりたいわけではないから、そことのバランスが難しいのですが、まあ頑張ります。私の場合、働き方を改善しない限り自分の時間は失われる一方なので、改善していきたい。
それでもどうにもならないことは自分のせいではないし、自分は万能ではないから、そのままならなさを受け入れられる潔さも身に着けていきたい。間違っても自分のせいだと責めたり、卑下したりしないように。自分本位に生きることの難しさよ。
日常生活では、リハビリのような週末の過ごし方を一歩踏み出して、新しいことをやったり、知らない土地に出かけたり、何かしらの創作活動をするようは活力を取り戻したいなと思いました。あと、このブログも更新頻度が落ちてしまったけれど、以前の頻度を取り戻せるように、健康的な毎日を取り戻せるようにがんばりたい。当座の目標としては以下の通り。
- 自分の意見を殺さない、自分本位さを出していく
- 仕事しすぎず、自分の時間を優先させる(継続目標)
- でも無理をしない
- 自分の無力さ、現実のままならなさを受け入れる
- 自分が本当に欲しいものに散財する、でも貯金もする
- 余暇を使って新しいこと、楽しいことに挑戦する
- なにか資格を取ったり、同人誌を出したりする(継続目標)
2024年もどうぞよろしくお願いします。
↓一年前のものはこちら。