高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

久々の仕事近況とかいろいろ

 水曜日。チェンソーマンの最新話を読みながら出勤。去年の私は、遅くとも始業の30分前には自席に着いて業務を始めていた。無給の「自己研鑽」だった。アホらし、と思ってからはもう少し遅らせた。仕事を軽んじているとかやる気がないとかではなく、単純に朝の自分時間が惜しかった。もういっぱいいっぱいだ。久しぶりに仕事の話でもする。

 結論からいうと、なんだか職場の状態は最悪なんだろうなって思う。というのも、毎年決まった時期に行う業務や作業がある。例えば、毎年夏頃にA部署から来るはずの依頼が、まだ来ていない、ということがある。去年なら今頃B部署と対応した仕事がまだできていない。それで担当者に「今年アレどうなってますか?」と連絡すると、相手がいない。休んでいるのだ。問合せメールを送ると、あちらのサーバのパンクで送り返されてくる。休んでいるのだ。受信ボックスが満杯になるくらい長期に。新卒から部長まで、いろんな人が離脱している。こういったことを日々少しずつ実感し、あ、これはマズいんだなと答え合わせをしているような心地。これを今年度何回経験したのだろう。

 休む人が多いのはどこの職場でも似たようなものだろうし、もともとこの職場もメンタルで休職は多い。ただ、今年は過去に例がないくらいに多すぎるし、急遽雇った非常勤さんも、穴があいたバケツから水がこぼれるように、一ヶ月足らずでどんどん辞めていく。そこらじゅうで仕事に遅れが生じて、関係する部署の仕事も引っ張られて遅れて、離脱する人は多く、仕事知っている人はいなければ遅れるし、人を雇っても教える人もいない。全員が全員余裕がないまま転がり落ちるように人が減っていく。あり得ない失態があちこちで乱発する。悪循環が次の悪循環を呼んでいる。地獄とはここにあったのか、と思った。ここにいると頭がおかしくなりそうだ。

 ここまで読むと、なぜ転職はしないのかと思われるかもしれない。私としても、転職を出来たらな、と思っている。エージェントと会ったり、採用面接を受けたりもしている。そこでぶつけられたのは、私の絶妙な年齢と出産可能性についてだった。
 どういうことかというと、必ずどこかのタイミングで、「結婚の予定はありますか」「出産のご予定はありますか」「産後どのような働き方を求めていますか」という問いやそれに類する質問を暗に投げかけられるのだ。私の意思にかかわらず、この年代の独身女性である、という記号はそういう意味を持つらしい。

 この類の質問を批判しているわけではない。事業者としては、そういう人を雇う場合に環境を整えないといけないから聞く必要はあると思う。ただ、私は面接を受けながら、もしかしたら採用後に長期離脱するかもしれない私と、しばらくは仕事を離脱しないであろう応募者がいたとすれば、後者を採用するだろうなと冷静に思った。たぶん、私でも、そうするだろう。人手が足りないから雇うのに、すぐ休まれたら堪らない。会社には会社の事情がある。使える人が欲しいだろう。私の権利云々は置いておいて、これが現実だ。そしていい求人ほど通らない。

 私はどう立ち振る舞うのが正解なのだろう、とずっと考えている。しっかりガチガチに家族計画を立てて、例えば「転職後3年は子供を産まない」的な誓いを立てて働きます、とでも言えばよいだろうか。嘘をついて、転職した途端に休んだりして、これも権利だって主張すればよかったのか。それも賢い方法だと思う。きれいごとじゃ生きていけない世の中だ。でも、自分の生活を守るため、非難されても謗りを受けても自分をつらぬき通す厚顔さや強さが私にあるだろうか。嘘をついたところで敬遠されて終わりかもしれない。ずる賢く生きられたらいいのに、それが出来ないことがもどかしい。
 世の中の現実としてこうなることは分かっていたけれど、いざ自分がこの年齢になって当事者となるととても疲れる問題だった。私は無責任にそんなことは面接で言えなかった。

 あとは単純に、いまの年収を手放したくない、という感情も正直あった。(忙しくてストレスフルであるけれども)そこそこ慣れた環境で、世間的にはまあ恵まれた収入をいただいている。同程度あるいは微減くらいの収入を維持できる職業を選ぶなら、たぶん、多くのものを犠牲にしなければならない。焦って妥協してまで転職してよいのか。拙速すぎないか。今の仕事はつらいことが多いけれど、待遇面では恵まれているのは事実だった。同じ職業に就こうと思ったら、簡単には採用されない。周りの人は「転職しちゃいなよ」って言ってくれるけど、失敗したときにだれも助けてはくれないのだ。

 私がつらいのは職場の問題というより国全体のものであって、どこに逃げても一緒なんじゃないかって諦念も若干ある。将来のあらゆる可能性を思えば思うほど、いまの職業をそうそう簡単には手放せない自分がいる。本当にメンタル崩壊しそうになったら何がなんでもやめるつもりでいるが。人生むずかしいな。

 帰宅。千種創一さんの『砂丘律』の文庫版が届いた。単行本も持っているけど、文庫だと持ち運びやすくてうれしい。短歌の本が文庫になるのはすごいことだ。帯に岸田繁市川春子。強い名前しか載っていない。

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 大学時代の友人で、中学校教諭として働いている友だちがいる。この友人ともう何ヶ月も連絡が取れていなくて心配していたのだけど、ようやく連絡が取れて、どうやら鬱で休職していたことを知った。スポーツ万能でメンタルの強いイメージしかない友人だったけれど、かなり仕事が大変で心が折れてしまっていたらしかった。

 教員はただでさえサービス残業、休日の部活指導で大変だけれど、友人の場合は、いわゆる毒親問題があり、実家で働かないネグレクト気味の父と娘依存の激しい母を支えストレスが溜まっていたようだ(このことは私が学生の頃から話していた)。友人の妹は強引に家を出てしまったけれど、姉である友人はなんだかんだ優しくて、両親を突き放すようなことができなかったらしい。特に母は厄介で、何かにつけて娘(友人)の職場へ電話をして激昂し、職場へ実際に押し掛けることなんかもあったらしい。

 そこに面倒な生徒の保護者対応を押し付けられ、同僚や上司に助けてもらえず、仕事でも追いつめられて、帰宅しても親から依存され、ほとほと疲れ果てた結果、こうなってしまったらしい。発言小町を読んでいるような話だ。

 聞いた話によると、休職するきっかけは初対面のスクールカウンセラーさんが助けてくれたことだという。ちょうど前任者が退職し、後任として職員室に手続きに来ていた際に、明らかに様子がおかしい友人に気づいて声をかけてくれたんだとか。そのままカウンセラーさんは友人に聴き取りし、教頭・校長との話し合いで間に入って休職の話も手配してくれた。さらには母親と離れることが不可欠と考え、引っ越しのアドバイスまでしてくれたらしい。

 ここまで聞いて、助けてくれたのが同僚たちじゃなくって、偶然いた外部のカウンセラーだったってのが切なく思った。初対面の人が一目見ておかしいと思うのだから、周囲の人も気づいていたんだろう。同僚も上司も、それぞれにみなつらかったのかもしれない。カウンセラーも、学校と直接の雇用関係にない、外部の人間だったから、すぐさま行動できたんだろうか、とも思う。自分がにっちもさっちも行かなくなったときに、外部とのつながりは大事なんだなと思わされた。みな命からがら生きているんだな。