高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

戦友のこと

 木曜日。夜、職場でいそいそ残業をしていると、同期からチャットでご飯のお誘いが来た。私と同じ時期に異動し、同じような辛い思いをしている同期だ。断る理由もないから二つ返事で快諾する。

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 私は院卒後に就職しているからその他多くの同期より年上なのだが、彼女は転職で入ってきており、貴重な同い年の同期だ。同じ年齢で結婚して、似た境遇を持ち、似たライフプランの悩みを抱える。毎晩遅くまで一緒に仕事をして、社会を憎み職場を憎み、それでも同じ職場で働いている。より良い転職先を絶えず探しながら。

 話していると、自分自身と会話しているような不思議な気持ちになる。それくらいに同じ悩みを抱えている。それはつまり、この社会で同じ女として生きていくということそれだけで、同じ壁にぶつかってしまうということ。そういう社会だということだ。それは私や同期個人の悩みではなく、社会全体の問題と結びついているということだと思う。私はネットにも戦友と呼びたい人が沢山いるが、彼女もまた戦友だと思っている。私も誰かにとっての遠い戦友かもしれない。

 同期のいまの悩みは、いつ子供を産むべきか、そもそも子供を産む余裕が自分にあるのだろうか、ということ。これは私自身が目下対処しなければいけない大きな問題でもある。もし産むのであればすぐにでも産んだほうがいいことは明白だ。でも、産んで「やっぱり子育てできませんでした」ということはできない。命を産むということは取り返しのつかないことだろう。取り返しのつかないことであるべきだ。一方で、10年後にやっぱり産みたいと思っても、叶わないことになる可能性が高いのだ。産まないのであればその決意をなるべく強く、取り返しがつかなくなる前に固めなければならない。卵子凍結でもしといたほうがいいですか?だれも最適解を教えてくれない。
 今の働き方をしながら子育てをすることは大きな犠牲が伴う。自分自身の健康も損なうし、配偶者にも負担はかかる。職場のお偉いさんは「両親・義両親に頼めないのか」っていうけれど、両親・義両親ともにまだ働いていて彼らの生活があるのだ。

 そもそも、産むタイミングはどうしたらいい。異動直後の私たちがすぐに離脱することは、機能不全に陥っている職場に大きな打撃を与えるだろう。私たちには産む権利、休む権利はあるというのは簡単だけれど、そうも理性的に受け入れてもらえないのが職場の人間関係というもの。育休代替の人員が見つからず、残された人々が育休者の業務を引き受けざるを得ないことも珍しくはない。夫には「周りを気にせず休めばいいじゃん」と言われるけれど、休んだ後にそこで戦うのは夫ではなく私だ。誹りを受け、産休明けの復帰後に報復人事としか思えない配置転換をされる例をたくさん目撃した。妊娠後に激務の部署にあてがわれ、流産した人を何人も知っている。時短勤務で、保育園に子を迎えに行くため退勤し、子が寝た後に自宅から明け方まで仕事をしている人がたくさんいる。
 そういう社会、そういう職場に私たちはいる。私も同期も、子を産むことでそういう目に遭う可能性があることを覚悟しなければならないのだった。誹りを受け、たたかれても毅然として自分のライフプランを優先していく我の強さを持たねばならない。私たちはどこまで強くなればいいのだろうか。

 私も同期も、絶えず転職活動をしている。二人で転職の話題ではじめて盛り上がったのは、私たちが2年目のことだった。二人とも2年目の段階ですでにこの職場に見切りをつけていた。それでも転職しなかったのは、結局どこも地獄だと悟ったからだろうか。何だかんだ言って、この職場は恵まれている側面もある。比べていても仕方がないが、今より大変なところへ転職してしまっては元も子もないのだ。だからこそ慎重になる。そもそも2年目の時点で適齢期だった私たちに転職活動は厳しかった。露骨に結婚・妊娠の予定を聞かれて、二人でブチ切れながら飲んだこともあった。使用者の立場になれば、適齢期の女より男を採りたい気持ちはわかる。分かるけれども、じゃあ私たちは何なのだ、という虚しさが残る。

 私にとって彼女は戦友に等しい。何と戦っているのかと聞かれたら、何と言っていいか悩むけれど。職場はこれからの数年で、一番層の厚い50代の人材が失われ、ベテランの数が一気に減ることが分かっている。どんどん厳しい職場になるんだろうなと思う。今以上にブラックな働き方をしながら、子育てをする必要があるんだろうか。この状況を思うと、同期が思い悩むのも自分のことのようによく分かって困った。