高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

今度は米津玄師を聴きに行ってきた

 水曜日。強気の休暇をとって同居人と米津玄師のライブに向かう。同じ時代に生きているから一度は行ってみたかった。私の生まれた年代的に、バンプアジカンは好き嫌いを超越して「その時代を生きている者の宿命」というか、音楽好きなら避けて通れないところにある音楽だと思っているけど、米津玄師もその流れにあるような気がする。この世には行きたくても行けない、チケットを手に入れることが著しく難しいライブがあって、米津玄師もその一つだと思っている。ほんと当選してよかった。

 昼ごろ、バスで会場の日本ガイシホールへ向かう。数日前に藤井風に行って、今回は米津玄師だ。大きなライブが続く。破産する。昔、大きな会場近くに住んでいたことがあったから、大きなライブでは思わず客層を見てしまうのだけど、米津玄師のファンは大人しいなと思った。フォトスポットとか物販の列におとなしく並んでいる。セカオワのファンにも同じことを思った。それぞれのファンの特性というより、若者全体によく見られる傾向なのかも。こんなことを言うと、私が若者でなくなった気がしてきて悲しくなってくるが。豊田スタジアムにきたエグザ○ル公演の時のファンはなかなかマナーが悪くてびっくりしたからな。ファンはアーティストの名前の入ったグッズ掲げて歩いている以上ちゃんとしなさいよ、って思う。

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(フォトスポット。みんな大人しく長蛇の列をなしていた。)

 今回のチケットは入場ゲートで発券されるタイプだった。だからアリーナ席であること以外は事前にわからなかったのだけど、発券されると花道の近くで同居人と沸いた。花道なんて人生で何回目だろうか。

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 ライブ。米津玄師はスタイルお化けだったし、セトリは知っている曲しか来なくて、しかもほとんどがタイアップ付いていて改めてすごいなって思った。シングルのカップリング曲まで全てタイアップありとか、00年代でもそうそうなかったんじゃないか。あまりにセトリのラインナップが良すぎると「解散するんか?」と思ってしまうタイプの古のオタクだけれど、今回も例に漏れずそう思った。

 昔と違ってテレビ一強じゃないから、音楽の文化も多様化していて、昔のような大衆的人気のミュージシャンは生まれなくなったと言われて久しいけれど、米津玄師は現代の貴重なそれなのだと思う。アルバムのオリジナル曲やカップリングまで、みんな何処かで聴いたことがある。そういう経験は他のミュージシャンではなかなか無い。多様化もいいけど、みんなが知っていてみんなが盛り上がる曲があるというのもいいよなって思う。セトリを考える側も良曲ありすぎて頭を抱えたんだろうな。個人的には「海の幽霊」「死神」を聴けたのが意外すぎてよかった。ライブ映えする曲だ。

 音楽以外のことはあまり詳しくないし分からないんだけど、今回のライブは照明やモニターの使い方が凄くて、なんというか、「絶対にここで客の心を動かすんだ」という明確な意志を感じて感動した。それくらい何も知らない私にさえ意図が伝わった。クリエイターってすごいな。胸がいっぱいだ。