高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

内省自戒

 金曜日。今週の後半からいろいろと落ち込むことがあり、どっと疲れてしまった。過去に自分がしたミスというか不注意が、他の要素要因と絡み合って、巡り巡って大きな話になるかもしれないらしい。通常であればそんな大きな話がヒラの労働者の耳に入ることはないのだけど、私は所属の関係でそれを知ってしまう。自分のせいで大きな損害が生まれるかもしれない。その不注意をしでかした当時は思ってもみなかったことにひどく落ち込んだ。

 あまりに落ち込みすぎて、ずっと仕事と家事に打ち込んで無理に忙しくして、自分を追い込んでいた。少しでも暇な時間があると、自責の念がぐるぐる頭の中を巡って鬱々としてくる。とりあえず世の中にある自分よりも大変な失敗事例を読んで慰みにしようと、ネット記事を検索して読むという性格の悪いこともしてみた。やることがなくなると睡眠薬を飲んで寝た。起きていると嫌なことばかりを考えてしまうからだ。

 私は自責傾向が強いと、昔から思っている。もちろん自分が悪いことを悪いと思い反省することは当然のことだけど、過剰に自分のせいだと深刻に捉えて落ち込んでしまう。周囲の人のミスも自分のせいだと追い込むことがある。私が気づいていれば、私が早くから注意していれば。落ち込んで落ち込んで、何週間も何ヶ月も沈んだままになってしまう。今でさえ、何年も前の失敗をふとした瞬間に思い出して爆発しそうになる。
 頭では、考えすぎても仕方がないし、客観的に考えればもう十分に反省してたと思っている。くよくよしたって仕方ないことも当然わかっている。それでも性格の根本がコレだから、なかなか矯正することもできない。いつまで経ってもウジウジ、あの時ああしていれば、今からでも誠心誠意あやまり倒せば、と意地汚く考えてしまう。病気ではないが病的だなと思っている。

 こういう時に、適度に他責傾向があると「私だけが悪いわけじゃない、職場の体制も悪い」「人手不足なのに補充しない経営側が悪い」と適度に他者のせいにして、スパッと気持ちを切り替えて仕事に向き合うことができるんだろうなと思う。そしてそういう人の方が仕事が出来そうな気がしてくる。生きているとだんだん、実直で真面目であることは何のアドバンテージにもならないなと思う。それが活きていくるのは、そういう状況が整っていたり、周りに守ってくれる人や後ろ盾がある時だ。運も必要だろう。誹りを受け流し、失敗をものともせず、メンタルを保ちながら賢しく生きることが世渡り上手ということなのだろう。私にはほとほと無理だ。人間社会に向いていないと思う。

 まあでも、いつまでもウジウジしてはいられなくて、今日一日呆けていたら少しだけ復活してきた。こんなに社会人に向いていないのに社会で生きていかなければいけないのは残酷だな。早く元のコンディションに戻して、仕事を食い扶持だと思う程度に高飛車になって、自分時間を最大限楽しむことだけに注力しなければ。今は頭の中で、自分の弁明の仕方や謝罪の仕方などをシミュレーションしている。あとは野となれだ。

 今日ははてなブログの設定をちょこちょこいじっていた。特に理由もないがドメインの更新が近かったから、心機一転ドメインを変えてURLを変更してみた。これまでの記事と読者の皆さまも引き継げたけど、いただいたスターは引き継がれなかったようだ。そこはちょっとショック。