高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

生活下手

 土曜日。三連休をおだやかで充実したものにするのだ、という決意を胸に朝7時から活動を始める。朝が早いと一日は長い。私にとっての一日とはすはわち活動時間のことだ。胃の中身がぜんぶ出てしまいそうな眠気を抱えつつも、眠ってなどいられない。朝から洗濯機を5回ほど動かし、その回数だけベランダへ出た。掃除もした。シンクも磨いた。来週のためのおかずの作り置きもした。

 同居人は夜勤明けで腑抜けになっており、ソファに身体を預けてぼーっとしている。今日は彼になにを期待しても無駄だろう。わたしはわたしでやることをやる。

 生活なんて無意識にできるものだと思っていたけれど、そうではないと気が付いたのは一人で暮らすようになってからだ。意識して起きて、活動して、を繰り返さないと生活と呼べるものにならない気がする。堕落の果てにあるものは生活というより、自分という、のんべんだらりとした、だらしない生が横たわっているだけという感じがするのだ。小学校の授業で「生活科」という科目があって、そんなん人に教わるものじゃないだろって思ってたけれど、その存在意義も今ではわかる。生活は無意識に生きていればついてくるものじゃなくて、教わって勉強して復習して勝ち取っていく営みのことだ。よりよい生活を手にするにはたゆまぬ努力や創意工夫やいるんだ。いやだいやだ。ただぼーっとして生きていきたいのに、ちゃんと生活したいとも思ってしまう。

 家事をあらかた終えて、植物の世話をする。自分の世話はとても重たいのに、この子たちを世話をしている間だけは心が晴れやかになる。

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 数億年ぶりに自炊して昼食をとった。冷蔵庫にある素材を切って作った味噌汁の素朴でやさしい、でも奥行きのある味にたじろいだ。平日にはひんぱんにインスタントの味噌汁の世話になっていて、それらもとてもおいしい。なのに、具材を切って、だしを取って、味噌を溶いて作っただけで何故こんなにも違うのか。私自身には手料理信仰はない。自分自身が時間をかけて作ったから、認知の歪みでそう感じるのかもしれない。だから余計におどろいてしまった。

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 午後、前回お会いしたフォロワーさんが近所まで来てくれて、釜揚げしらすをたくさんくれた。

 とてもオーラがあって、誰にも似ていない唯一無二の声を持つ女の子だ。待ち合わせ場所のセブンイレブンですぐに分かった。私からは家に2冊あったお気に入りの歌集をプレゼントした。気に入ってくれると嬉しい。

 夜ご飯はさっそく頂いたしらすを豪勢に使い、しらす丼にして食べた。同居人もおいしいおいしいと食べていた。こんなにいいものをもらってしまってよかったのだろうか。

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 10月に入り、食材が高い。食費が嵩む。毎日自炊して丁寧に暮らして自分の自尊心を高めたいとかいう虚栄心以前の問題として、もうちょっと自炊の回数を増やして可能な限り食費を抑えないといけないなと思う。わたしは生活が下手だから、自炊する時間が惜しくて、その時間を使って本を読んだり映画を見たり、ブログを書いたりしたいなって思ってしまう。結果的にどっちが豊かになるかはわからない。ただ給与は増えないし、食費は増すばかりだし、そうも言ってられなくなってきた。惣菜ばっかり買っていたら映画に行けなくなる。今のわたしにはどちらかをバランスよく棄てなければならない。なんとか、なんとかできることをしなければ。生活科でどうやったら豊かな国になるかなんて教えてくれなかった。

 とりあえず今日はわたしのできることをやった。部屋中を整えて、ようやく人様に見せられるくらいに部屋が片付いた。上出来だ。少しずつ取り戻していきたい。

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