高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

一切れ1,000円の魚は高いのか

 土曜日。そろそろ物価高、きつくないですか。私だけですか。月末から月初にかけて、家計簿の締めをやるわけだけど、特別贅沢な暮らしをしているつもりはないし、なんなら去年の今ごろのほうが毎週のように外食していた。今年はそうでもないのに、食費が驚くほど高い。エンゲル係数カンストしそうで怖い。ただ生きるために食べている程度なのに、生きているだけで出費が嵩む。

 私はドケチの自称倹約家だから、去年の私がそれぞれの食材をいくらで買ったかを覚えている。ほうれん草は一袋98円(今は安くて158円)、長ネギは3本で108円(今は258円)、鮭の切り身は100g98円(今は278円)、豚バラも100g98円(今は安くて198円)。普通に自炊していてもお給与は定期昇給以外で上がっていないわけだから、苦しくなるのも道理だなと冷静になる。私は最低限、年齢×10万円の貯金額を死守したくて、それを守るためだったらどこまででも倹約できた。冷静になる場合じゃないんだけど。

 先日、同居人と魚の切り身を買おうとして、すごく高くて、なんて高いんだろうね、こんなの牛肉じゃんね、と不満を言い合った。その流れで、スーパーの魚の切り身にこの値段を払うなら、ちゃんと美味しい魚を食べに行こうという話になったのだった。

 ということで栄駅にある鈴波にランチを食べにきた。

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 鈴波は魚介みりん粕漬けのお店で、高い切り身を売っているのだけど、ランチでも食べることもできる。栄駅には本店があって、いつも昼時になると人々がたくさん並んでいる場所だ。私は店頭で買うと一切れ1,000円の銀だらを使った定食を食べた。あまりの美味しさにドン引いた。基本的にお魚は塩で食べるのが好きだから粕漬けは得意ではないのだけど、魚の旨味が引き出されていてとんでもなくおいしい。魚はポテンシャルの高さに驚いた。みんなが並んで買う理由がよくわかった。本当に美味しいものにはみんなお金を払ってでも食べたいと思うのだ。

 ほんとうは去年の食材の安さのほうがおかしくて、これまで物価も賃金も据え置きだったこの国のツケがいま回ってきていることはよくわかっている。食材はいま適正価格に近づくよう物価が上がっている。それはわかっているのだけど、生活は日に日に、ゆっくり首を絞められるようにひっ迫していて、簡単な抗いとしては節約することくらいしかなくて、倹約生活に少し疲れてしまっていた。
 久しぶりに食べ物でいい買い物をしたなと思った。心から納得して食べ物に適正価格を払えた気がする。だって、一切れ1,000円の切り身なんてどう考えてもおかしいと思っていた。でも冷静に考えれば、おそらくそのまま食べても美味しい品質のよいものを、厚く切って、一定期間粕漬けにしている。その手間をあるし、何より食べてみると1,000円は妥当な値段だろうと素直に感じた。こんなふうにスーパーに並んでいる食材も適正価格にならないといけないんだろう。お給与も適正価格に上がらないだろうか。私自身が98円で売られていたほうれん草にでもなった気分だ。

 近所の庭園を散歩して帰った。

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