高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

地獄よ

 火曜日。朝から天気悪い。そういえばここまで本降りの雨って久しぶりな気がする。

 土砂降りのなか職場へ。奴隷船のようなバス車内でITパスポートの参考書を読みながら向かう。パラパラ読んだ感じ、ほとんど既に知っていることだったから最短で試験に臨めそうだ。不確定な未来のために、いまの知識や能力を資格等の目に見えるものに変換して、棚卸しをしなきゃなあ、と思っている。くだらないと思いつつ、人材として生きていくためには仕方ないんだろう。TOEICもどこかで受けなきゃ。エイゴチョットワカル。
 今週はなんだか比較的仕事が落ち着いていそうだ。局所的に不思議とやるべきことがない時期というのはある。これも刹那的なもので、年末や年度末になればまた時間に追われるだろう。

 もう元号が令和になったことですし、そろそろ「繁忙期」というシステムをやめましょうよ。年末締めも年度末締めも、もうやめませんか。だれも幸せにならないですよ。そうずっと思っている。毎月締めていけばいいじゃないか。そんで、テレワークももっとやりましょうよ。ビタビタの靴下のまま仕事するなんて、有意義なわけないじゃないですか。
 そう思うけれど、そう簡単にいかない世の中なんだろうな。業務も忙しさも適正に分配してほしい。特に頑張ることに対してのインセンティブがない私の仕事に関しては特にそう思う。

 夕方、東京の某大学で職員が刃物で切り付けられたという報道を知って背筋が凍る。しかも被害者があの宮台真司でびっくりした。宮台先生の本は院生時代にたくさん読んでいて、個人の人柄的な問題はさておき、著作にはとても影響を受けた。学ぶところも多かった。手放しに礼賛することはないけど、死んでもらっちゃ困る。言論でたたかう人を暴力を以て封じ込めようなんて許せない。いろいろと思うところはあるけれど、ひとまず無事でよかった。

 宮台真司がどんな仕事をしてきた人か、どんな人物かについては、Wikiでも見ればわかると思う。言論人としてはっきり物申すかただと思う。私が悲しかったのは、職場のあちこちで「こういう研究/活動しているから恨まれたんだ」という主旨の発言をする人が、思いのほかいたこと。いかなる理由があったとしても、自らの主張を押し通すために暴力をふるうことは許されない。至極当然であったはずのことがもはや当然ではなくなっているんだと、思わずにはいられない。
 これからは、自らの主張を通すために暴力を行使するのは許されないと、何度でも表明していかなければならないんだな。宮台真司を排除してもリスクのない社会なんて来ないのに。それが当然であるならば、言う必要もないことだったのに。

 わたしの職場も公共施設だから、性質上、不特定多数の人々が行き交う場所といえる。他人事とは思えない。いつだれが入り込んでくるか分かったものじゃないし、実際問題として不審者情報は多い。自分はいつだれに暴力を振るわれてもおかしくない世界に、生身の個人として生きているのだな、という事実を思う。その事実自体はずっとあったわけだけど、近年はその事実の存在感が強くなっている。理想化された概念としての地獄より、この世のほうが地獄だなと感じる。

 
(比較的お安くて読みやすいものを。)