火曜日。結構前から「親ガチャ」という言葉が話題らしい。要するに、子は親を選べないことへ諦めの言葉だ。ガチャに外れると痛い目を被り、引きがいいとその後の人生に特権的なアドバンテージを得られるということだろう。「毒親」にも若干通じるところがあると思う。もちろん親だって突き詰めれば子を選べないだろうが、親には子を産む/産まないの選択があり、子を設けるにあたって親となる相手を選べる(理論上は)。それに食らえれば子にはそもそも産まれることを拒否する事さえできない。また、親子関係には上下関係があり、特に子が幼少期であれば、ごく一部の例外を除いて強者は親だ。親が子を捨てることはできても、逆は困難だと思う。
子が親を選べないことで不遇な目に遭うということ自体は珍しくなく、どの時代にもあったはずだから、「親ガチャ」が取り沙汰されて多くの共感を呼ぶこと自体が、この問題が認知されてきていることの証左なんだろうなと思う。あと、「親にそんなことを言うなんて!」と責められる風潮が少し弱まっていることを感じる。
とはいえ、今回のトレンドにおいても「親にそんなことを言うなんて!」「親に感謝すべき」的な意見も見られた。その多くが、比較的「親ガチャ」で当たりを引いて恵まれている層からではないか、という考察もあった。その根底にあるのが、「自分の努力次第で環境を変えられる」といった努力至上主義と、「親と向き合って話せばわかりあえる」的な性善説によるものが多かった気がする。
私自身は「親ガチャ」批判には否定的であると自覚している。それは結局、「自分の努力次第で環境を変えられる」も「親と向き合って話せばわかりあえる」も、ある部分までは効果があるし自己努力も大切だけれど、ある一定の水準にある親を引かない限りは至れない境地だと思うからだ。親ガチャにもいろいろあると思うけれど、努力して親へ語り尽くしても状況を打開することができなくて、ついに努力もできなくなって、「親を見捨てるのか」という世間からの目を恐れ苦しみながら、夜逃げ同然で肉親と縁を切った友人知人が多いというのも、そういった考えに至った一つの要因かもしれない。親子のあるべき像はしょせんは幻で、それに合致している素晴らしい(とされる)親子もいるけれど、合致していないからと言って悪ではない。結局は他人同士だと思っている。
私は仕事柄、親に悩まされている人の案件に触れることが多い。一言に「親ガチャ」といっても色んな種類があって、とても根深い問題だなと感じる。
①経済格差型
・親の収入や資産が多いか少ないかのガチャ
・親の思想や教育方針の是非は関係がない
・貧しい場合、望む教育が受けられない等の弊害がある
②地域格差型
・親の住まいが都会か田舎か等、地域に由来するガチャ
・住まいの選択に①③が影響することもある
・教育の機会、文化的施設(美術館、映画館)に差がある
・子は家を出るまで居住の影響を受け続ける
③思想型
・親の思想、教育方針、考え方などによる親ガチャ
・①②の影響を必ずしも受けない(裕福でもハズレを引く)
・親が放任主義か束縛気質か等、親の考え方に縛られる
④遺伝型
・両親からの遺伝による影響(容姿、学力、音感、運動能力など)
・①〜③とは相関がない
・子の努力で変えられるもののあるが相当な苦労を要する
・私が仕事で関わることはほとんどない
⑤支離滅裂型
・めちゃくちゃな親の元に生まれてしまったというガチャ
・親の主張がその時々で変わり一貫線がなく、全く言葉が通じない
・私が仕事で関わることがもっとも多いタイプ
この類型は私が適当に作ったもので、全てがこれに該当するわけじゃないからある程度捨象してしまっているものもあるけれど、大体はこんな感じ。どれか一つに該当しているわけじゃなく、複数のタイプが複雑に絡み合っている場合が多い。仕事では⑤がとても多くて、「子供のため」という大義名分で窓口に乗り込んできて、その後は会うたびに言っていることが変わって、最終的に事務への嫌がらせや、行きすぎた正義感で、ネットで事務の醜態を晒すことになっているケースもあった。(実際に私の本名はネットに晒されている。)
もちろん、本当に子供や家族を思いやって、何とかしたいという悩みを抱えてくる人も多い。そういう人はやりとりをしていると分かるけれど、そういう人に限って「こんなこと相談すると毒親とかモンスターペアレントと思われそうで怖かった」と言う。それくらい「毒親」や「モンスターペアレント」は凄まじいわけだけれど、実際に仕事で対応してみて、本当に言葉の通じない親御さんが多いのだ。一部だけれど、毎日何十回も電話をしてきて、メールもしてきて、窓口にこれば大声で罵詈雑言を浴びせてくるような、目も当てられない親御さんがいる。子供はこの人とずっと過ごしていて、そのことへの苦しみと諦念から「親ガチャ」と言いたくなる気持ちを、私は責めることができない。「親にそんな言葉を使うなんて」なんて、親子関係はきれいごとじゃない。
私は「親ガチャ」的にはどうだったのだろうかと、考えてみる。私の両親は放任主義で、比較的好きにやらせてもらった。宿題や勉強をしろと強要されたことはなかったし、私は本屋や漫画やゲームを制限されたこともなかった。そこそこ貧乏だったから、多くを買い与えてもらえたこともないし、興味を持った習い事もさせてはもらえなかったけれど、そこそこ恵まれていたと自分では感じる。
容姿や体質は、両親も見ると、まあ、こんなもんかなと思う。肌が弱く毛深い、太りやすい体質を恨んだことが何度もあった。けれど贅沢を言ってはいけない。五体満足であるだけ喜ぶべきなのだと思い込んだ。身長は、両親の身長を思えば、頑張れたかなと思う。妹よりも8センチくらい大きくなった。
両親は中卒と高卒だけど、奔放に育てられた私はなぜかそこそこ勉強がよく出来た。知識欲が人より膨れ上がっていた。特に志すものもないのに、中学の先生には、進学校の高校に行って大学に行くよう勧められた。四大に行く人が学年あたり10人もいない田舎の中学校にあって、両親には全く理解されなかった。父親にははっきりと「遊ぶだけの大学に行ってなにをするつもりだ」と言われた。父の家系からも母の家系からも、大学にいく人がいなかったのだ。そこから私と両親の闘いが始まった。
大学に行くつもりの友達には、この状況が全く理解されなかった。結局、高校は進学校に進むことになったけれど、行きたかった遠くの高校には行くことが許されなかった。大学進学時には、それこそ親戚中の大反対にあった。正月に親戚のおじさんから「高卒と同時に働いて両親を助けなさい」と言われることもあった。ここまで来た時、私は今でいう「親ガチャ」的な感情を抱いていた。私の人生は私のものであるはずなのに、働いて両親を助けることが私の生きる意味であるかのように言われ始めた。でも親の人生は親のものであるから、親の負担を私のエゴで増やしてはいけないってことも理解はできるから身を引き裂かれそうだった。大学は、県内であること、学費は自分で払うことを条件に許された。私はこの条件を飲み、なるべく早く家を出るために貯金を始めた。
大学院へ進学したいと言ったときは、それこそ猛烈な大反対に遭った。母親には「婚期が遠のく」「親戚にはなんと説明するのだ」と嘆かれた。「結婚をするのもしないもの私の人生であるし、結婚をしたから幸せになれるわけではない」と何度説明しても、「ひとりで死ぬつもりなのか」と理解されなかった。人は死ぬ時誰だって独りだ。反対を押し切り、引き続き学費は自分で払って進学した。
今は家を出ており、自活出来ていて自由を感じている。私は一人暮らしを始めた時、ホームシックになったり、親のありがたさを痛感すると言うよりは、一人暮らしが静かなことにただただ驚いていた。思えば、家にいるあいだはありとあらゆる干渉を受けていたのだった。今日はなにをしたの。どこにでかけるの。誰と遊ぶの。近所のAちゃんは今度結婚するらしいよ。付き合っている人はいないの。うちには孫は生まれないのだろうね。いつまで学生やるつもりなの。そういった介入から放たれて、一人で暮らすことがどこまでも静かだったことを今でもよく覚えている。もちろん両親が私に投資してくれたお金もあって、育ててくれたから私が存在するわけで、それは変え難い事実だけれども、両親への複雑な思いがあることも確かだ。親子関係は綺麗ごとではない。だから私は「親ガチャ」と言ってしまいたくなる人の悲しみを否定できない。
今日も仕事ではものすごい親御さんの対応をした。
親を選べないのは圧倒的現実として今後も変えることができないから、どんな親のもとに生まれたとしても何とでもなる世の中になったいいのにね、と思う。「親ガチャ」と言いたくなるのは、自分にとって救いのない親を引いた時にどう頑張ってもリカバリーできないからで、それが容認されてしまっている社会だからだろう。
子がいくら頑張ったところで限界がある「親ガチャ」の社会を認めてしまっているのは誰だろう。「親ガチャ」を下支えしていてしまっている者は誰だろう。学習塾は営利企業だからお金を落としてくれるお客さんに教育機会を与えるのは当然だ。では、大金を賭してでも塾に入れたいのはなぜだろう。学歴社会だろうか。いい大学を出ていればそれなりのアドバンテージを得られる。学歴社会を根本から変えるのは難しい。でも、裕福な家庭に生まれてあらゆる投資をされて期待をかけられることにプレッシャーや不自由を「親ガチャ」という人もいる。そういう子が親から離れ、別の親や居場所を見つけることができない。なにが当たりでなにがハズレなのか。そもそも難しい。親ガチャのハズレは、自分にとってそこから逃げ出し解き放たれるのが難しい呪縛でしかないのだろう。隣の家の芝は青いね。ほとほと疲れてしまった。
写真は今日の小さな喜びたち。