高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

折り返し

 水曜。週の折り返し。今日は直属の上司が休みだから、定時キッカリに帰宅することだけを楽しみにしていた。もう随分と定時帰りというものをしていない。定時帰りが当たり前の世界線であったら「定時帰り」なんて言葉がわざわざ存在する必要もないわけで、それでも「定時帰り」が定着していると言うことは、それ以外の帰り方(残業帰り等)が蔓延っている現状があると言うことだ。言葉とは現実を掴むためのものだもんな。

 仕事。最近、家で過ごしている時は平気なのに、職場に着くと鼻炎がひどくなるような感じが確証に変わってきた。昔から働いている非常勤さんに、最後にエアコンの清掃に入ったのはいつか聞いてみると「一度も掃除しているのを見たことがない」と言っていて青ざめてしまった。職場のエアコンには数年規模(ひどいと十数年規模)のカビが育っているかもしれない。職場のエアコンは個人で勝手に掃除できるものではないからどうしようもない。なんとかならないかなあと思う。ずっと鼻水出ていて辛かった。

 午後。職場でなぜか祖父祖母の話題になった。私の祖父も祖母も九州の田舎の出で、結婚後に大阪へ出て、愛知にたどり着いたらしい。祖父はとても優しかったが、腕や背中に大量の刺青が入っていた。私は子供ながらに祖父が何者なのか気になっていたけれど、私の両親も祖父が何者かを知らないらしかった。あえて追求をしていなかったのかもしれない。そんな祖父は酒が大好きで、来る日も来る日も酒を飲み、最終的には病院で長らく入院した後ガンで死んだ。焼かれた後の骨は人間であることがわからないくらい粉々になっていた。骨には抗がん剤の影響と見られるピンク色になっていて、鼻が曲がるくらいの匂いがした。

 祖母は港町出身で、気が強く、姉御肌だったらしい。家で作った商品にならないジャガイモを背負って町へ行き、それを売り捌いてお小遣いを稼ぎ、友達に奢って映画館へ遊びに行っていたらしい。とにかく周りに施すのが好きで、自分の苦しみは後回しの人だった。晩年の祖母は、卵巣癌のため腹水が溜まっていたのを、同居する叔父夫婦に隠しきり、死ぬ1週間前までそれを気づかせなかった。気づいた頃には、お腹に水が溜まり妊婦のようになっていたらしい。精密検査の時も、車椅子をすすめる看護師を跳ね除け、病院の端から端まで自分で歩いた。その気高さはどこからくるのだろうか。どこでも人の力を借りず、我慢強く死ぬ寸前まで自分の足で歩いていた祖母の足は、骨がしっかり残っていた。

 職場の人の祖父祖母の話も興味深かった。上の世代の人の生き方は壮絶なものが多くて驚かされる。

 定時をちょっと過ぎて帰宅。明るい中を帰るのはいつでも感動する。気合入れてご飯を作ろうと思っていたら、同居人は職場でトラブルがあったらしくご飯は食べてくると言うことだった。悲し。やっつけで自分の好きなものしか載っていない欲張りプレートを作って食べた。

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