高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

ピアスをあけた

 木曜日。今更すぎるがピアスの穴をあけたいな、と思って実行することにした。なぜ今かという理由はない。ないというか、よくよく考えてみたら逆になぜ今までそうしていなかったか分からないからだ。自分なんていかにも穴あいてそうな人間なのに。思い立ったら吉日ということで、仕事帰りにドンキで必要なものを調達した。便利な時代だ。

 思い返せば、高校は校則でピアス禁止で、大学4年間働いた学習塾のバイトもピアス禁止だった。開けるタイミングをことごとく逃し、大学院進学後はおしゃれもへったくれもない多忙な生活をして過ごし、就職後もなんだかんだ忙しさにかまけて忘れてしまっていた。でも冷静に考えれば、もはや私の行動を縛る決まりは何もないのだった。
 あけるに当たっては、念のため交際相手である同居人にあけてもいいか確認をした。世の中には耳たぶに穴を開けることについて、どうにも許せない人がいることを知っているからだ。(同居人が反対しようが私は自分で決めるつもりだったが、まあ事前に聞くことで礼を尽くす意味もあった。)同居人は「いいんじゃない?」とあっさりした返事で特段気にしていない様子だった。

 先日、大白小蟹さんの漫画『うみべのストーブ』を読んだときに記憶に残った短編を思い出していた。妊娠した女性に夫が「もう ひとりの身体じゃないんだから」と言い、その時の女性の心境がとても刺さった。

わたしの身体がわたし ひとりだけのものだったことなど
一度でもあっただろうか
(大白小蟹『うみべのストーブ』p.122)

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 たまに「親から貰った身体に傷なんて」的な、人に譲渡したものにいつまでも親(や無関係な第三者)が介入して、ものを言う謎理論があるけれど、個人的にはあまり好んでいない。単純に私の身体の扱い方が気に入らないのなら、その行為自体を非難すればいいのに、もっともらしい「親から貰った身体に」という言葉を持ち出して、親への引け目を担保にして、なにがなんでも丸め込もうとするその魂胆が気に入らないのだ。それに、仮に親が反対したとしても、私の身体は私のものだ。
 ちなみに私の親は、学校や職場の決まりを逸脱しない限りは、私の身体の使い方に反対したことはない。そもそも母親は看護師のくせにその辺の安全ピンでピアスを開けていたような人だ。今さら反対もしないだろう。厄介なのは第三者で、例えば私がピアスや刺青や整形などの身体を傷つけることを話題にするたび、「親にもらった身体でしょ」と口にするのだった。口にしないだけで、内心ではそう思っている人もたくさんいるのだろう。

 耳に小さな小さな穴をあけるくらいのことが何だと言うのか。親にもらった大事な身体に過労死レベルの労働をさせる世の中でそんな些細なことも許されないのか、とカウンター攻撃したくもなるけど、ともあれ、先述の大白小蟹さんの漫画にあったように、言われてみれば、私の身体がただ自分だけの身体であることの方が危ういのだと思わされた。生きているともっと残酷で痛みの伴う仕打ちがたくさんあるのに、多くはスルーされて、ピアスみたいなことが苦言されたりする。ダブルスタンダードのゆがんだ時を生きている。私の身体は私のものだ、といちいち表明しないといけないものなのだ。なんだかなあって思う。

 私の耳の形は左右で異なっており、耳の付いている高さも、耳たぶの傾きも左右で絶妙に異なる。左の方が福耳で、耳の位置が低い。穴の位置にかなり悩みつつ、大きなピアスをつけた時に遠目から見たバランスを最優先して、少し左右非対称の位置にペンでマーキングした。病院であけることも考えたけれど、位置がずれる等のトラブルもあるらしいし、なにより自分の手でやりたかったのだ。(自分で責任取れない人は病院へ行こう!
 アイシングして、消毒してピアッサーでパチンと穴をあける。位置取りには時間がかかったが、針を刺すこと自体はためらいもなく一瞬で終わり。血一滴すら出ず痛みもほぼなかった。


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 なぜ今か、という理由はないが、なぜわざわざ穴をあけたかったかを説明する理由ならたくさんある。おそらく「おしゃれのためにわざわざ穴をあけるなんて…」派の人は「イヤリングでよくない?」と言うだろうし、私自身もそうして自分を納得させてきた。でも、もうイヤリングに我慢ならなくなってしまったのだ。だって、イヤリングの方が断然痛い。自分の場合は、一日中つけていると耳たぶに感覚がないくらい痛くなってきて、そのまま激しい頭痛を呼ぶ。耐えるために首や肩も凝ってくる。耳たぶには炎症や吹き出物ができたりもした。冠婚葬祭でつけている際は、お手洗いでいったん外して耳を休めないと耐えられないほどだ。

 痛みが限りなく少ない、耳たぶを挟む力がやさしいイヤリングもある。でも挟む力がやさしい分、それは紛失しやすいということで、そうしてたくさんのイヤリングを片耳だけ失くしてきた。高価なものをつけるとき、常に失くすことばかりを心配していた。激痛に耐えるか、紛失のリスクを冒すかという理不尽な二者択一をたくさん味わって、そろそろ楽をしてもいいんじゃないかと思うようになった。長期的にみればピアスの方が絶対に負担は少ないはずなのだ。ここまで思い至ると、本当にどうしていままでこうしなかったのか、謎が深まるばかりだった。

 そんなもやもやと今日でおさらばできるのがとてもうれしかった。これからは理不尽な痛みに苦しむこともなく、選択肢も広がり、これまでより日々が楽しくなるはずだ。絶対にそうだ。穴が要らなくなったら塞ぐことができる。私の身体は私の自由だ。きっとこれからも、「わざわざ穴をあけるなんて…」と思う人や不良のイメージを持つひとも根強くいるだろうし、あらゆることで私の身体に介入してくる人もたくさんいるんだろうけど、私は自分のことは可能な限り自分で決めていきたい。