高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

星野源さんへ

 星野源さんと新垣結衣さんが結婚するそうです。中学生から応援しつづけている星野源、小学校からファッション雑誌nicolaで追っかけていたガッキーが結婚なんて、私にはよろこび以外の何ものでもありません。昔から星野源好きを周りに公言していたので、旧友たちからのお祝いLINEがなぜかたくさん来ました。特に私は星野源ファンなので、これまで星野源という人間にふりかかったあれこれを思い出しては感慨深くなってしまう。一ファンなのにどの口が言っているんだという話ですが、たぶんファンのみんなは多かれ少なかれそう思っているだろうと推察する。

 星野源さん、わたしが最初に星野源という存在を知った時は、SAKEROCKというインストバンドを組んでいて、まだソロデビューしていませんでした。「穴を掘る」というインスト曲があって、あるときそれに歌詞をつけて歌っているのを聴いて、なんて素敵で、それでいて一度聴いたら耳から離れない不思議な響きをしているのだろうと思いました。(これは後にソロで発表しています。)ご本人はモサモサしていてコンプレックスだったみたいですが、とても素敵な歌声だと感じました。

 俳優もやっていると知って、「去年、ルノアールで」を片っ端から観たり、森山未來が主演のドラマ「ウォーターボーイズ」を血眼で観て、一瞬でもその姿が映るたびに歓喜していました。お小遣いを貯めてライブにも行きました。当時は当日券でもライブに行けるくらいの知名度だったから、ライブに行こうと思えば行けたのです。今思えば信じられないことですが。私の人生のある時期において唯一無二の音楽でした。

 そしてソロデビューをして、星野源の書いた歌詞、星野源の歌声に触れる機会が増え、私の楽しみも喜びも増えました。相変わらずライブにも行きました。当時のライブではもっぱら「客が必ず寝る」と定評のある、穏やかでアコーステックの曲ばかりのライブでした。とても自由で、ライブ中にステージ上の本人がトイレに行ったりもしましたね。楽しかったです。今でこそ『恋』みたいなにぎやかな曲がたくさんあるけれども、やはり静かな曲が星野源の最初としてあったのだなあと思ったりもします。このころもうすでに文筆業もされていて、エッセイ「そして生活はつづく」、アホみたいに何度も読みました。

 星野源の書いた文章やトークに触れる機会もどんどん増えました。自分の悲しい過去や闇の部分を隠しもせず、ユーモアを織り交ぜながら開けっ広げに話す内容にどれだけ救われたか。私自身も鬱屈した子供時代、学生時代で負のオーラのかたまりみたいな毎日だったから、それを隠さずにポジティブに話す様子に勇気づけられました。初めて風俗にいった話。死ぬほど笑わせてもらいました。別の男性とデートに行った女の子の家にキャンプ雑誌を投函した話。死ぬほど笑いました。ウォーターボーイズの現場が嫌で嫌で、事務所の社長に辞めたいと直談判した話。孤独のなか仕事をするその辛さに泣けました。星野源のラジオを聴くために、文章を読むために、どんなにいじめられても学校に行くことができた。

 シングル「フィルム」で初のオリコントップ10入り。その頃の私は大学生でした。わたしは友達や同級生に好きな音楽を聴かれたとき、その答えのひとつとして「星野源」と言っていました。残念ながら当時はまた「星野源」を知っている人なんて私の周囲にはいませんでした。「夢の外へ」がアネッサのcmソングになって、周囲には星野源を知っている人が着実に増えてきた。この頃はフェスにもどんどん出るようになっていました。だんだんと星野源がやりたい音楽でその名を広めていくことが嬉しかった。でも正直、当時としては、「夢の外へ」が最大のヒットソングになるんだろうなと、応援しているファンのくせにひよったことも思ったりしていました。

 その後、くも膜下出血での活動休止の報道。あの時の動揺はいまでも忘れられません。ちょうど塾のバイトをしていたとき、塾長が「この前好きだって言ってた人が活動休止ってYahooに出てる」と教えてくれた。自分の携帯でも同じようなニュースが出ていた。応援している人の名前を、よりによってこんな事でトップニュースで見るなんて。悲しくなり、その病名に途方もなくなった。これからだってのに、こんな時に病気なんて。
 ある音楽雑誌で療養中に寄せたコメントが載せられた時、手術も成功して無事だということで心底安心した。穏やかに日々を送れているとのことで安堵した。鶴瓶師匠に紹介してもらったという医師のおかげで、その後の再発も乗り越えて、地獄から這い上がったあとに発表した新曲「化物」が底抜けに明るい曲で、それなのに私は泣いてしまった。

 「病室 夜が心をそろそろ蝕む」から始まる歌いだし、「誰かこの声を聞いてよ」から始まるサビの歌詞。長髪の髪を束ねてくらいオタク時代を送ったり、売れないミュージシャン時代を闘い抜いて、病気で生死の淵を彷徨ったり、あらゆる孤独を耐えてきたからこそ、こんなに明るく歌えるのだろうかと驚かされた。星野源の歌詞には割とよく「地獄」という言葉が出てくるけれど、星野源にとってこの世で生きることそのものが地獄で、それでも地獄で楽しく、大切な人と手を取り合って生きることを渇望する様子が読み取れる。この世は地獄で、孤独はいつまでもついて回るけれども、それでも生きるのだという決意にも祈りにもとれる。そういった価値観にも共感していて、私は星野源を聴くし観るし読む。

 その後の活躍はとんでもないもので、もう日本中だれもが知っている有名人になって、ライブのチケットを取ることすら難しくなってしまった。雑誌にも掲載され過ぎて、すべてを追いかけることが難しくなってしまった。それはとても嬉しいことだと思う。芸能人はいろんな人の憧れや注目や想いや祈りを背負っている、大変でそれはそれは素敵な仕事だから、きっと今回の結婚を受けて、ショックを受けたり、喜びつつもどこか空虚な感情に気づく人もいるのだろうと思う。そのどれもが応援していたからが故の感情だから、間違いはないし、どれも否定されることがあってはならない当然のものだろうなと思う。

 一ファンとしての私は、星野源という人に世話を焼いてくれる人が、お仕事以外の場所にいるといいなあ、と常々思っていた。本人もいろんなところで語っていたことだけれど、星野源という人は怒りっぽくて、作品がうまくいかないとイライラするし、徹底的に打ち込んでしまう仕事人間だというのは有名な話だ。忙しくて忙しくて仕方ない日々を送っていると思うから、その仕事の世界の外から、世話を焼いてくれる人がいたらどんなにいいだろう。それは家族でも友人でも誰でもいい。ご両親はいるだろうけれど、ご両親はそばにはいないだろうし、一生世話を焼いてくれる存在でもいい。ファンは、いくら心配をしたり応援したりできても、身近な存在にはなりえないから、ずっとずっとそのことを願っていた。ファンを幸せにしてくれたから、本人にも健康で、幸せでいてほしい。

 その願いが、星野源という人間の身近に世話を焼いてくれる人がいるということの事実が、今回の結婚のお知らせを通して知ることができ、それゆえに私はとても嬉しい気持ちです。これからもこの世は地獄で、孤独は友のようにそばにいるし、それ自体は抗いようのないものだろうけれど、今後も楽しい音楽、文章、演技などなど、新しい作品に触れることを楽しみにしています。