日曜日。午前中から購入予定の中古戸建てのリノベ打合せへ出かけた。
家探しの経緯を全然ここに書いていない気がする。またまとめて書きたいなと思っているけれど、端的にいうと1月ごろから始めた地獄の家探しの結果、納得のいく築浅物件が見つかり買うことにしたのだ。
戸建てからマンション、注文住宅・建売・中古といろいろと見て好きなだけ悩んだけれど、その中で実感したのは、いまの住宅は自分がこれまで想像していた値段ではもう買えないということだ。高すぎる。全てが高すぎる。上昇していく人件費と物価に賃上げが追いついていないのは住宅にも当てはまる話だ。
どうせなら注文住宅でと思っていたのけれど土地探しで難航した。土地は土地で、売っているのは高価すぎるか狭すぎるか立地が悪すぎるかのいずれかで、ちょうどいい価格のちょうどいい土地はいつだって奪い合いだ。だから気長にいい土地が売りに出るのを待つ傍ら中古も手広く見ることに決めた。そんな折に、立地も広さも値段も申し分ない築浅一軒家が売りに出たことに運命的な巡りあわせを見出し買うことにした。同じ条件で注文住宅を買うとなると、私たちでは手が届かなそうだった。
今は住宅価格の上昇が激しいから中古市場も活況なのだそう。でも一方で、先行き不安で売り手は減少傾向らしく、簡単に手放さないんだそうだ。これから劇的な賃上げでも起きない限り、本当に持ち家に手が届かなくなる世の中がすぐそこまで来ているんだろうと感じる。私は私で地獄のようなローンを背負って生きていくわけだけれど、それでも幸運なほうではあるんだと思う。
リフォーム業者からは、家の状態がいいのであまり修繕は必要ないのでは、と言われた。家の中のよく分からない部分にもちゃんと理由があって「ここはこういう効果があるから、そのまま残した方がいいですよ」等と説明してもらえたのは良かった(危うく見た目重視で修繕かけてしまう所だった)。最低限の清掃や修繕で終わりそうだった。それが終わったら入居。まだ先のことになりそう。
昼食はザバスのプロテインに無糖の純カカオを加えたものを飲んだ。最近ダイエットをしている。単純に肥えてきて、去年の服がキツくなっていたのだ。お腹周りは自分でへこませれば大丈夫だけれど、二の腕やお尻や脚はそういうわけにもいかないんだなと実感し、妙な感動さえ覚えるくらいに肥えていた。
私は自分の体型のことを「痩せなければいけない」と捉えているけれど、今の私が健康上の最適体重であるという実感も同時にあった。今の体型で安定してしまってから、風邪をこじらせることがなくなった。ちょっと喉が痛い、鼻が変だと思っても、少し寝れば元通りになる。肉体の健康を考えたら今のままでいい。でも精神衛生上の健康を考えると非常に不健康なのだった。私は自分の夫に、体型について何かを言われたことはない。それでも体型を揶揄されて育ってしまったせいか、私の人生は痩せなければならないという強迫観念と共にある。
午後は先週楽天スーパーセールで買ったケノンの脱毛器で全身を照射した。夏の部屋着は薄着だからいつだって気軽に照射できてうれしい。数年前に医療レーザーに100万円くらいかけて大体の脱毛を終えていたけれど、それでも根絶できない部分や、復活してしまった部分を駆逐するために買った。
もともとこれを持っている友達の家で使わせてもらって、どの程度の効果があるかは分かっていたから、「これで本当に脱毛できるのか?」と大金をはたいた決断に不安になることもなく精神衛生上とてもいい。医療レーザーには痛みも効果も及ばないわけだけど、ちゃんと最大出力で照射すれば3~4日後には毛が抜けだす。また照射する。その繰りかえし。
最近、成人していない子ども(幼い場合は未就学児も)を脱毛サロンに連れて行くことへの是非についての記事を目にすることがある。難しい問題だけど、仮に私に子どもがいて、その子どもが自分の体毛について悩んで傷つき脱毛を望んでいるとしたら、私は批判覚悟で脱毛に連れていくかもしれない。批判として「そんなものは本人が大人になって自分で稼いでやればいい」という意見はよく聞くし、それはその通りでド正論なんだけれど、子供時代や思春期にしたひどく辛い思いって、大人になってから解消しても全然救われないと思うのだ。
私自身もすごく体毛が濃くて、自分の父よりも断然濃くて、小学校高学年にはもう目も当てられないくらいになっていて、前日夜に剃刀で処理しても翌日の午後には1ミリくらい伸びて目立ってしまう。「男の脚」とか「猿人」とか、私は信じられない言葉で形容されて、毎日ちゃんと処理しても女どころか人間として認められなくて悲しかった。体毛が限りなく薄い女の子たちからは「かわいそうだね」と言われていた。男子がふざけて背面黒板でやっていた「毛深い女子ランキング」で私は1位だった。私はかわいそうだったんだろうか。
大学生になって、ようやくローンを組んで医療脱毛を受け始め、数年かけてレーザーの痛みを耐えて脱毛をし、私は身軽になった。それでも私は、苦しんでいたあの時にこの救いが欲しかったと今も思っている。(脱毛をさせてくれなかった親を責めているわけではない。投げやりな恨みみたいなものです。)体毛のことで失われた楽しい出来事がたくさんあるんじゃないかと思ってしまう。これも、しょせん子供のぜいたくな悩みで、ただのお気持ちなんだろうか。
でも私のこれは特別なことでは決してなくて、こういう救われなさを大人になっても感じている人がたくさんいるから、自分の子供が同じ思いをしたときに救ってあげたくなるんじゃないかな。体毛は自然なことで恥ずかしいことではないけれどそれは綺麗ごとで、残念ながら女の体毛は無くて然るべきと思われていて、そういう価値観の中で今の子供たちも生きていて、価値観のほうを変えられないのなら今苦しんでいる子供を今救ってあげたい、子供の悩みだと軽んじたりにせず対処してあげたいという気持ちは、そんなに理解できないものかな。私はけっこう、ムダ毛に悩む子供に自分が子供だったときの感覚と同じように共感できる。
私の大学時代、周りの友人たちが成人したとたんにこぞって脱毛の契約をして通い始めたことを思い出す。親が理解ある子たちは、入学したらすぐに始める子たちも多かったし、高校時代から通っている子もまあまあいた。ここまで行くと美容目的の嗜好による通院ではないと思ってくるんだけど、自費診療なんだから辛いなと思う。ムダ毛を抹殺しないと暗に社会に認めてもらえないだけなのに。そんなことを思いながら、しつこいムダ毛に強い光を最大出力で照射していた。