高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

近況つれづれ

 火曜日。ランポー玉の花が咲いた。ガーベラのようなかわいい花だ。うれしい。

 相変わらず元気をそがれる前から既に疲れている実感があって、日々、張り合いがないな、と思いながら出勤している。この張り合いの無さを、身バレしないように言語化するのはひどく困難だが、端的に言うと、組織って本当にいやだなという気持ち。苦しんでいる労働者がたくさんいて、それなのにその苦しみに輪をかけるようなことばかりが決定していくのだ。自分がよく知っている人たちが相次いで休職していたことも知り、自分事のように痛んだ。公的な仕事を選ぶ人は「意気地がない」「忍耐力がない」とか思われがちな風潮があるけど、本当だろうかと考える。それ以上にこの仕事が大量の雑務と、一部の人の横暴に淀んでいるとしか思えないのだ。そんななかで、ここにいるとこれからの職場が悪い方向に向かっていく話しか聞かなくて、そういう毎日の中でやる気も気概も損なわれてしまったという感じ。自分から不感症になって賃金のために働き続けるのも一策だけれど、どうしようか。同居人と二人で暮らしているから、言い訳がましくも感情的に仕事を辞めてはいけない気がしたりもする。さしあたり今月後半の三連休2回だけがいまの拠り所だ。

 仕事は絶妙に残業をしてしまい退勤。キリのいいところまでやりたくなってしまう。自分の悪い部分だ。帰宅途中に、映画監督ゴダールの訃報にふれる。ゴダールといえば、伊坂幸太郎作品にこれでもかと登場していて、それで気になってみた思い出だ。中学生の自分にはひどく退屈で、それを面白いものと思えるまでには時間がかかった。ゴダールに影響を受ける作家やクリエイターは、自分が知っているだけでも複数人いるから、きっともっと存在するのだろう。それにしても、有名な人の訃報にふれるたびに年を取ったと思う。

 最近は食材が日に日に高くて、安い野菜や肉はスーパーでも陽が沈む前に売り切れてしまう。冷蔵庫に食材がバランスよく揃うことはなく、偏った食生活を冷凍食品で補いながら暮らしている。今日のメインディッシュはサツマイモだった。戦時中かよって思う。炊飯器で炊いてバターを乗せて食べた。150円くらいの特売のイモだったから特別の期待はしていなかったが、衝撃的においしくてすぐに完食してしまった。芯までねっとりしていて、有り体にいえば専門のお店で食べたみたいだった。期待値が低かったから反動でそう感じただけかもしれないが。

 Nintendo Directを見た。ゼルダの伝説の続編が来年5月にリリース予定らしい。とてもうれしい。前作が5年?も前なんて信じられないけれど、そのゲームを私はいまだにプレイしている。別に定期アップデートもしていないのに、ゲーム上の世界が広すぎて5年たっても初めて来たような場所があるのだ。その世界をぼんやり散歩するように遊んだりしている。その続きがあるのは驚きにちかい喜びがある。とりあえず来年春までは生きる理由がそれなりにできた。

 眠るまで短歌を作っていた。ほそぼそとやっている趣味だけれど、今度笹井宏之賞という新人賞の締め切りがあって、それに向けた50首を消しては増やして、弄ってはやめて、行きつ戻りつしながら眠気が来るのを待った。例年どおり、着手すぎるのが遅すぎるなと反省する。まあ、とりあえずでも形にして送ることにも意味があると思うから、頑張ることにする。