高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

脱メンクリまで2年

 土曜日。9時台にメンクリの予約があり早起きした。メンクリとは心療内科のことだ。メンタル・クリニック。土日の9時台に呼び出すことが精神衛生上よろしくないのでは、と思うが仕方ない。私の行くメンクリは、こちらが行ける曜日等の希望を言ったうえで、具体的な予約時間は向こうから指定される。私の予約時間は、試されるようにだんだん昼から朝へと早まっていた。

 診察。滞りなく終わる。最近は精神的に落ち着いているから、ひとまず薬をやめてみましょう、ということになった。薬をやめて、もしまた体調が悪くなったら病院に行き、やめても大丈夫だったらそのままフェードアウト。もう飲まないでいいという安心感や喜びというより先に来たのは、やっとか、という感慨だった。私が職場でストレスにやられて最初に通院してから二年強が経っていた。

 私は当時の上司が先に休職してしまったことで、自分は休職せずにそのまま働いてしまった。でも結果的には、なんだかんだ働きながら通院できるくらい軽度だったということだ。この二年は正直つらく泥臭いことばかりだったけど、それもまあ軽度なのだ。それでも二年かかってしまった。
 きっと、長いこと休む必要があるような、私より大変な思いをされてきた人は、元通りに近い日々を取り戻すまでにもっと長い時間がかかるんだろう。また、一度メンタルを壊した人は再発しやすいということを聞く。元通りに近い日々に戻れたとして、本当に元通りになることはもう二度とないんだろう。もう戻れない感覚は私もわかる。

 今回いろいろたいへんな思いをして考えるのは、辛いことがあったとき、なるべく早く、しかるべき病院に行きしかるべき治療を受けてほしいということ。この手の病院にいくことはハードルが高い。でも、心が折れかけてたときに病院に行くのと、バキバキに折れてから行くのとはその後の生活が大きく変わってしまう。治療費はかかるし、貴重な時間を通院に充てることは短期的に見たらしんどいけれど、後々の出費とか休んだことで失われる労働などを長期的に考えれば、通院は早いに越したことはない。
 ぎりぎりまで耐えて、何年も休んだり、休んだ末に辞めるしかなくなった友人や知り合いを見ていると、忍耐することの美徳なんて、ほんとうに毒にも薬にもならないなと考えてしまう。まじめな人ほど自分から病院には行けないだろうから、余計にむずかしい。

 私が大学院生だったころ、研究室の先輩たちにとってメンタルの問題に向き合うことはごく当たり前のこととされていた。少しでも不調を感じたら行きつけの心療内科に行ったり、カウンセリングを受けに行く。治療を受けていることをみな普通に話していた。研究生活は自分が成果を出せないと自分だけが取り残されていく、だれでも病んでしまうような、そういう厳しさのある世界だった。自分の気持ちのバランスをうまく保ちながら、休まず長く研究していくことが大切な世界だった。
 そういう環境のなかで、メンタル疾患はありふれたものであり早く治療するべきであることを知っていたくせに、いざ自分が不調に陥るとなかなか行動に移せなかった。他人に促されるまで行けなかった。もっと早く行動できていたらよかったのに、と未だにじめじめ考えてしまう。

 このブログを読んでいる読者はそんなにたくさんいませんが、いまとてもしんどくて、八方塞がりみたいな状況だと思ったら、迷わず病院とか、しかるべき場所に行ってほしいなって強く願っている。多分そういうところに行けない人は、まじめて責任感の強い、やさしい人だと思うから、私がこんなところで書いたって簡単には行かないけれど、だから繰りかえし折に触れて発信しなくちゃいけないよなと思っている。私は自分ブログに意味など持たせたくないが、それでも意味を帯びてしまうなら、苦しんでいる人にやさしいブログになりたい。やさしくなりたい。斉藤和義
 私が読ませていただいているブログにも、みなさんそれぞれに地獄があって、だれとも比類しがたい苦しみをかかえて戦っているんだろうと強く思うことがある。それらに対して、私は無責任に気の利いたコメントを残したりしないし出来ないのだけど、いつも読んでいます。私はみなさんのブログを読んだときにスターをつけていますので、みなさんが地獄で、それぞれの方法で戦っていることを知っている人がいると思ってもらえたらうれしいな、と思っている。
 ブログカルチャーが好きだから、そういう読者になりたいし、ブロガーでありたい。

 辛気臭くなってしまったから、最後にウチに来た塊根植物でも見てください。グラキリスです!

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