高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

ルックバック徒然

 月曜日。眠い。今週は五輪開催のため木曜金曜が祝日。4連休。連勤は嬉しいが週3の稼働日で仕事が終わるのかは別問題だ。休みを満喫したいのなら意地でも3日間で仕事にケリをつけないといけない。難しいな。

 仕事の昼休憩中に藤本タツキセンセの読み切り『ルックバック』を読んだ。130ページ超えの作品と思えないくらいスピード感持って一気読みしてしまった。『チェンソーマン』よりは『ファイヤパンチ』を思わせる画力と展開のエグさ。賛否両論のある終わり方で議論を巻き起こす感じ。最高だった。個人的には、大団円で終わる話よりも不条理で納得いかないこともあって読後に余韻を残す話が好きだから、藤本センセの話は好き。矛盾があって不条理があって、理論だけでは説明のつかないところがあると、人間らしくていいなと思う。私はフィクションに共感や感情移入やコンプラを求めていないから、泥臭くて、批評性があって、私の知らない世界や知らない考え方を見せてくれる作品が好きだ。読む側が試されるような作品が好きだ。
 この話の考察はありとあらゆる人がすでに書いてるけど、本当に仕掛けが多い。『ワンス・アポン・ア・タイム』のオマージュとか、京アニ事件追悼になっているとか、過去作の背景を使っているとか、Oasisの「Don't Look Back in Anger」のネタとか、主要人物2名の苗字が藤本センセの苗字を分割したものになっているとか、ありとあらゆるところに意匠が込められていて、もちろんそれに気づかなくても作品は十分に楽しめるんだけど、隅々まで漫画家の意図が感じられて、毎度のことながら感服してしまう。

 あと、これは個人的な感想だけど、作品作りをする人間としてははやり打ちのめされずにはいられない内容になっていたと思う。なんのために創作をするのかという命題がわかりやすく書かれている。(この点については、あらゆる人が指摘しているが。)よくある「自分より才能のある人に嫉妬する話」になっていないのが、意外に意表を突かれていいなあ、と思ったんです。画力は不登校の「京本」の方が強いけど、漫画の才能は「藤野」の方があるという非対称性がいい。周囲の人は藤野の漫画を「絵」としか捉えてくれないけど、京本は藤野の才能に気づいて藤野を「先生」と称えている。京本に漫画を褒められることが、藤野の頑張る動機になっている。でも、京本は純粋に絵を上手くなりたいと大学進学してしまう。その時に初めて藤野が京本に嫉妬する。他者に認められたい藤野と、純粋に技術を追い求める京本。藤野と京本が「藤本」の分身だとするなら、二者の思いが同居していることになる。
 これは私自身はすごく刺さってしまった。上手くなりたい自分がいて、誰かに認めてもらいたい自分がいることも事実。どの二つが同居していて、折り合いをつけて上手くやっていくしかないのだろう。

 美大に進学した京本は、美大生の作品を見て盗作されたと思い込む通り魔に殺されてしまう。わかりやすい京アニ事件のモチーフが書かれているが、京本と通り魔の作品に対する受容は根本的には同じだと思う。小学生時代、藤野の4コマまんがを熱狂的に支持し、「先生」とまで崇めて、4コマのおかげで外に出られた京本も、美大生の絵に憤慨し、盗作されたと思い込む通り魔も、作品から過剰な読み取りをしているようにも見える。創作作品から受け取るものの幅と、受容者がそれを信じ抜く強度。それが逆の方向に向かっただけで、京本と通り魔の行動はこうも変わってくる。人は創作作品からわりと自由にメッセージを受け取れてしまう。それが恐ろしかった。

 ところで、通り魔に殺害されるのが逆だったらどうだったのだろう、と考えてしまう。京本と別れた藤野は一人でも漫画家として成功しており、京本も藤野と出会わずとも、いずれは自力で外に出て美大へ行ったかもしれない。京本を失っても藤野は変わらず漫画を描いていくのだろうし、それが逆だったとしても同じだと思える。だとすると、二人が出会った意味は一体なんだったのか?という疑問に行き着くのだけど、きっと出会い自体に意味なんかなくて、それはただの偶然で、互いが互いの背中を見て頑張っているっていう、出会いに意味づけする祈りみたいな思いが全てなんだろうな、と思った。

 これは余談だけど、こういう作品が出ると「京アニがトラウマの人へ配慮を」みたいな意見がちらほら見られるのだけど、今回の場合はそれって難しいよなって思う。京アニモチーフがあること自体が起承転結でいう転だから。名探偵コナンの犯人を先に教えちゃうみたいなことで、ナイーブの問題だからこそ難しいなと思う。創作作品にもコンプラを求められる時代になったんだなと。そのうち暴力シーンとか事故シーンとか、なんでもコンプラコンプラとなってしまうのかな。配慮ってしてもらうもので、こっちから求めるものではないとおもっていたから、少し息苦しい。一方で、親しい人を亡くした気持ちとか、それもわかるから余計苦しい。でも、悲しい当事者が配慮を求めているというより、外野が言っているだけのような気もする。真偽はわかりませんが。

 その後はちゃんと仕事をして、残業し、21時半くらいに退勤。帰宅するも、鍵を持っていなくて、セブンイレブンでさけるチーズを買って近所の公園で同居人の帰宅を待った。

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