高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

美しい鰭とその他諸々

 火曜日。昨日の晩にポストに投函されていたスピッツの新譜を聴いた。

 コナンの映画の主題歌になっているが、聴けば聴くほど灰原哀の歌だった。みんな灰原哀のこと大好きだから、歌詞が全て解釈一致すぎて朝からしんどかった。褒めている。私たち普通に暮している人々と灰原哀の最大公約数的なことを普遍的に歌にして、私たち全てに刺さるように歌ってくれている。

f:id:hazukikose:20230412183415j:image

 私はスピッツのファンを長年やっているんだけど、今回の新譜に関しては、CDを買い、配信版を買い、普段はサブスクで聴き、YouTubeでも再生しまくるというトチ狂ったことをしている。一部の人からみたら正気の沙汰ではないんだろうが、なんでかというと、これが一番ミュージシャンたちに対価を支払うことができると考えるからだ。スピッツはとても売れているから私一人の金払いなんてほんの一部でしかないけれど、やっぱり応援は気持ちじゃなくて、対価で支払うのは大事だと思っている。

 サブスクで誰でも無料または安価に好きな音楽を聴けるようになった。でもサブスクは、ミュージシャンの手元に届くお金が限りなく少ない。長いこと音楽ファンをやっていると、音楽活動を収益化できずに解散してしまった素晴らしいミュージシャンたちをたくさん見てしまった。サブスクやYouTubeで何百万回と再生されたとしても、作品を買われなかったり、ライブに来てお金を落としてもらえないと、ミュージシャンたちは生きていけない。慈善事業で私たちが好きな音楽を都合よく振りまいてくれているわけじゃない。

 今の私は幸いにもある程度趣味に投じられる余裕があるから、応援している人たちには可能な限り、正当な対価としてお金を落としていきたいと思っている。もちろん私にも、中古のCDやレンタルショップや図書館で借りた無料の音源でなんとか趣味を楽しんで、残念ながらミュージシャンたちには多くの対価を払えていないことがあった。それはそれとして、今は払えるのだから、応援の気持ちを込めて払いたいと言うことだ。
 みんなそれぞれ価値観や事情はあるから、それぞれが可能な範囲で応援していけたらいいなと思う。私は学生時代にちゃんと応援できなかったから、その分を今取り返している感じ。買える範囲で買うし、ライブも無理ない範囲で行く。グッズもお布施だと思って買っている。

 それぞれの方法で応援したらいい、と思いつつ、最近の「なんでも無料でアクセスできる」という風潮は少し怖いなと思う。私が本や漫画やCDをたくさん買っている人間だと知ると「こうすればタダなのにわざわざ買うの?」という人も結構いて、今はそういう感覚の人が増えてるんだなと気づく。いかに安く、いかにタダで、美味しいところだけ楽しむか、みたいな。サブスクはいい面もいっぱいあるけれど、悪い面も、まああるよね。無料で読める範囲でしか漫画を読まないって人も、周囲に結構いるもんな。でもそういう面白いものを作ってくれる人はお仕事でやっていて、それらへの対価が支払われないとやっていけないんだって感覚が薄れている気がする。エンタメの値段がどんどん低くなっていて、お金を出すまでもないものになってほしくないな。私にとっては、応援しているミュージシャンが出す3曲入り1500円弱のCDは3倍払ってもいいくらいのものなんだけど、そうではない人が増えているんだろう。