高等遊民前夜

日記と考え事・雑感のログ

(なるべく)人を傷つけ(ようとし)ない笑い

 日曜日。極寒。午前中、市内のマルシェに行って買い食いをした。B級グルメ大好き。燻製の食材店が燻製チーズを焼いていて、匂いにつられて買った。チーズそのままで旨いのに燻して焼いたらおいしいに決まっていた。

 夜。楽しみにしていたM-1を観ていた。個人的にはさや香の1回目のネタがぶっちぎりで面白かったから優勝かな?って思っていたけれど、ウエストランドが優勝。意外にも決勝は票が割れなくてびっくりした。万人受けはしない結果になったなと思う。

 私はウエストランドのネタによって私自身が傷ついた自覚はないし、言っていること自体もよく分かるんだけど、どこか教室の片隅で声の大きい人たちの悪口(というか内輪ネタ)を聞いているような一種の居心地の悪さは感じた。でも井口さんのあの勢いのある喋り方やテンポには有無を言わさず笑わせるようなスピード感もあって、教室の片隅から、こんなことに笑っちゃいけないという後ろめたさと背徳感もありつつ、思わず笑わされてしまうという感じに近い。あの居心地の悪さはなんだろう。

 私が推していたさや香も思いっきり佐賀県ディスをしていたけれど、そことの違いは何だろうなと考えて、やっぱりディスる前後の姿勢なのかなと考えた。「佐賀県では免許返納するとタクシーの乗車賃が安くなる」というポジティブな情報で自然に佐賀県を取り上げてから「普通に生きていたら佐賀に行くことはない」「佐賀から出たら入られへん」と徹底的に田舎具合をディスったあと、相方が反論し、酷い発言をされていることを表明してちゃんとフォローを入れている。ネタに佐賀ディスを取り入れているけど、佐賀ディスを公認してはいないのだ。そして佐賀イジりが目的なのではなく、あくまでネタの過程で自然に取り入れられているんだろうと思う。
 つまり、ただ佐賀県固有の何かをディスるわけではなくて、佐賀の良い点をとりあげつつその田舎具合をいじっているのであって、佐賀県民以外の地方の人にも共感しやすい内容の弄りになっているのがいいのかなあ。決勝のネタの「一定の清潔感があれば誰でもキスできる」ネタも、最終的には「誰でもキスできる」酷さに自己言及して反省しているネタの構成もあって受けいれられるものという感じがした。

 もしかするとさや香のネタに傷ついた人はいるかもしれないけど、可能な限りだれも傷つかないように、自然な流れで、面白くなるように試行錯誤した配慮が感じられる気がする。誰も傷つかないように笑わせてくれるのが分かるから、安心して手放しに笑うことができる。
 それに対してウエストランドのネタはさや香とは違い、やっぱりそもそものネタの構成が毒舌ありきにも思える。さや香の毒舌は手段だけど、ウエストランドは毒舌をいうことに目的があり、その内容に面白さを求めているよう感じ。突拍子もなく言いたい放題まくしたてて、相方もそれに強く批判するでも止めるでもなく流されるモーションで、笑っちゃだめってわかっているのに笑ってしまうっていうネタのあり方が居心地の悪さを生むのかな、と思ったり思わなかったり。そうだとすると、この居心地の悪さはやっぱり、過剰なコンプラ意識なのだろうか。一方で、笑っちゃいけない空気の中で笑うことに束の間の開放感を与える的な?

 ウエストランドも、「R-1には夢がない」とかいうお笑い弄りは、本人たちが業界の当事者でもあるし、実際M-1との性質の違いはみんな共感するところだから、言い当て妙で面白いと思うんだけどな。それ以外の、たとえばYoutuberネタとか、駆け出しのアイドルネタとか、真剣に頑張っている人やそれを応援している人たちもひっくるめて毒舌言っちゃうネタは反感買うんだろう(事実を言っているだけという擁護も分からなくはないが、それを茶化していいかはモラルの問題な気がする)。
 すべての人に配慮するなんて難しくて、一部の人が傷ついたとしても思ったことを言うのがウエストランドの毒舌なんだろう。難しいね。言っていることはすごく共感できることが多いのに、笑ってはいけない後ろめたさを与える笑い。

 個人的には「人を傷つけない笑い」という表現があまり好きではなくて、なぜかというと「人を傷つけない」なんて究極的には無理だと考えるから。どれだけ全方位に配慮しようとしたところですべてを網羅するなんて出来ないし、おそらくは自分がアンテナを張ることができる範囲の配慮となる。日常生活のコミュニケーションだって、意図的に誰かを傷つけようなんて思っていなくなって誤解を与えてしまったりして軋轢が生まれる。傷つくかどうかは受け手の心情にゆだねるものだから、発信する側がどうこうできるものではないと思っている。だから志らく氏の発言にも少しもやっとしたところはあった。「人を傷つけない笑い」が持てはやされてエッジの効いた笑いがやりづらくなっているというのは分かるけれど、人を傷つけていいわけじゃないだろう。

 半面、「人を傷つけない笑い」をもてはやす大衆側が傷つくことに過敏になっているというか、傷つくポイントを自分から探しに行っている雰囲気を感じる。要はある芸人があるネタをやったりして、それが特定の何かをディスっていた場合、自身はそのディスりの対象ではないにも関わらず、「これは傷つく内容なので嫌いです」と表明する人が増えているような気がする。このディスりが差別意識やヘイトである場合はみんなで表明していくことに意義を感じるけれど、過剰反応だなと思うこともけっこうある。だれも傷つかないようにするには、究極的には閉口するしかないわけで、でもそれはだれも望んでいない。
 多分、お笑いを観ている人の中にも、正当な批判じゃなくて、難癖みたいなクレームをつけてくれる人も多いはずで、そういう難しい状況の中でバランスとりながら、でも面白くしてって難しいだろうなって思う。

 いろいろ思うところはあるけど、世相を反映した結果なんだろうなって思う。ウエストランドは良くも悪くも去年より尖ってて面白かったし、さや香は個人的に優勝でした。MVPは男性ブランコです。ふぉるふぉるふぉるふぉる…。ともあれ、こういう難しい話は「人を傷つける笑いは嫌い!無理!」と感情的に切り捨ててしまえばとても楽だけど、それは思考停止だから、なんでこんな状況になるのかを絶えず考えていたいなと思いました。おしまい。