金曜日。朝から雨で救いがまったくないけど今日が終われば休みだからなんとか頑張れるひ。わたしの中の林修が「いつ辞めるの?今でしょ」と言い続けるのを聴こえないふりをして、今日も出勤。もうこんな生活を何年もしている。雨なのに同僚にじゃがいもをお裾わけするために2キロ分持ってきてしまってどうかしていた。バス停にはすでに人が並んでいて、列に並ぶと私はぎりぎり屋根のある部分に入れそうになかったけれど、前に並んでいたサラリーマンの男性が順番を変わってくれた。優しさが染みる。あなたは絶対に幸せになれます、と念を送っておいた。
仕事。休憩中に同僚の女性と車検の話で盛り上がった。同僚曰く、車検だけでなく車を購入する時も、店員に「どうせ車のことなんてわからないでしょ?」的な前提で話を進められることがとても腹立たしいらしい。(同僚はけっこうな車オタクだ。)自動車の販売店等で女性がちゃんと客として平等に扱ってもらえないという類の話はよく聞く。そこには車=男性の乗り物的な古いジェンダーバイアスがあるのだろう。
私は大学生の時の車検の話を思い出していた。大学2年生の時に、バイトの給料を貯金して、100万円くらいの中古2年落ちの軽自動車を買った。車としては大したことないものだろうけど、個人的には自分のお金で、自分で契約した大きな買い物だったからそれなりの思い入れはあった。車を買ったカーディーラーでは、半年後に点検を行ってくれるサービスがあって、私は車の購入時にその点検の予約をしておいた。
その点検の日。指定された時間にカーディーラーに行くと、ディーラーの店長が変わっていた。(以下、便宜上クソ店長と呼ぶこととする。)点検のことを伝えると「お客さん、点検は事前に予約しないとできないんですよ?」と半笑いで言われた。え? 私は確実に予約をしたはずだ。購入時に一緒に予約をしたことを伝えると、クソ店長はバックヤードに戻り、すぐさま「では点検いたします」と謝りもなしに車の引き渡しとなった。まあ異動後でちゃんと引き継ぎができていなかったのだろうと思うことにした。
点検はその日の昼には終わるから、昼以降に取りに来てくれれば、とクソ店長は言った。その日夕方からバイトがあり、バイト先には車で行っていたから、バイト前に時間に余裕を持ってディーラーへ行くこととした。
16時ごろにディーラーに到着。店内にはクソ店長しかおらず、クソ店長は車の購入を考えている夫婦への営業に必死のようだった。私が店内に入ると、いましばらくお待ちください、といわれたから店内の椅子に座って待つこととした。
しかしいくら待っても車が引き渡される気配がない。時刻は17時半を回ろうとしていた。バイトは18時から。通勤に20分くらいはかかる。このままでは間に合わない。この辺りで、20歳になったばかりだった世間知らずの私は、ようやく自分が客として軽んじられている可能性に気づき始めた。遅いくらいだった。痺れを切らせた私は、夫婦への営業に必死なクソ店長に車の引き渡しの催促をした。すると、車の鍵を渡されて、ありがとうございました、で終わりだった。30秒もかかっていないじゃないか。私は新車を購入をするかもしれない客より軽んじられ、1時間半も待っていたわけだ。それはとても屈辱的で腹立たしかった。
車検の時も同じことが起こった。予約して行ったのに、予約していないとできないと笑われる。エンジンの異常音がするから見てほしいと繰り返し言っているのに、本気にしてくれない。「幻聴じゃないですか?」とまで言われる。車検が終わったあと取りに行くと、他のお客さんの対応を優先して放置される。前回の点検で起こったことがそのまま繰り返され、タイムスリップしたかのようだった。自分の訴えを聞き入れてもらえず、徹底的に軽んじられている。
結果、2週間後くらいに私の車は真冬の真夜中の大きな交差点で煙を上げて動かなくなった。大学で深夜まで研究して、夜中の3時をすぎていた。(車の通りがほとんどない深夜で逆に助かった。)偶然とおりかかった親切なおじさん達がすぐ近くのガソリンスタンドまで車を押してくれ、そこからJAFに電話をした。JAFの人には「エンジンが焼き切れいるので廃車ですね」と言われたから、「異常音がしたけれど、2週間前に車検を通ったばかり」というとメチャクチャに驚かれた。これで車検通ったんですか。はい。かなりの異常音がしたはずですよ。はい、でも信じてもらえませんでした。
その後、JAFの人に車をレッカーしてもらう。大学に車で通学していることをいうと、台車をいまのカーディーラー以外で手配できるように車の保険を調べてくれて、自分が契約している保険ではこういう時にトヨタレンタカーで無料で車を台車として借りれることがわかった。(知らなかったから本当に助かった。JAFさんありがとう。)
その後、車検で通った車がすぐに廃車になったクレームの電話も入れるも、クソ店長とは話が噛み合わず、一向に認めないから、仕方なくなって、自動車メーカーに勤める父を連れてカーディーラーを訪れた。父の口から今回の経緯を話すと、クソ店長はこれまで私の話を聞き入れなかったことが嘘のように、急にペコペコ謝り出し、「台車はどうしましょうか?」「次の車はどうしましょうか?」と営業をし出した。クソ店長は私にではなく、すべて父に向かって話し出した。私が車を買うことに、父は全く関与をしていない。車を契約したのも、お金を出したのも、すべて自分なのに。クソ店長は父が「顧客」に違いないと信じて疑っていないのだ。このとき、私は、若い女であるというだけでバカにされるとはこういうことを言うのだな、と実感した。これからこういうことが生きていくうえで少なからずあるのだな、と幻滅した。
父が「車を買ったのは娘です。自分は契約もしていなければお金も出していません」と一刀両断してくれたことが救いだった。結局そのカーディーラーには二度と行かず、知らぬ間に店は跡形もなくなっていた。廃業したのだろうと思う。
私がもう何年も前のことをここまで細かく覚えているのが、この経験に対して強い怒りと悲しさがあるからだと思う。実際、それからは生きていくうえでこういうことはたくさんあって、恋人とパソコンを買いに行って店員が恋人しか見ていなかったり(パソコンを買いに来たのは私だ)、職場で給湯室要員で女性だけが集められたり、女は黙ってろと古典の中のような罵声を浴びせられたり。(その他の性も、この裏返しのような体験を当然しているのだろう。)言い出したらキリはないけれど、本当にそんな社会なんだなとはっきり自覚したのが車検での出来事だったと記憶している。
こういうことを話すと「でた!ジェンダーの話でうるさいやつ」とか言われそうだけど、この社会である性自認(無性愛も含めね)をもって生きていることそれ自体がジェンダーの問題なのであって、話しているから意識が高いわけではないんですよね。当然気づいていて、おかしいと思っていて、でもいちいち話すと意識たかい面倒なやつとか言われるから言わない。そういう抑圧を内面化しているから、今日は同僚とふとしたきっかけで話が盛り上がったんだろうと思う。
帰宅。同居人は夜勤で不在。私は仕事で凡ミスをして落ち込んだし疲れた。完全無欠の人間になりたいよ。ローソンで適当なものを買って適当な飯にした。ピスタチオアイス味のピノには今日も出会えなかった。本当に絶滅したのかもしれない。